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瑠璃光寺の梅
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瑠璃光寺は、文明3年(1471)に陶弘房の夫人が夫の菩提寺として吉敷郡仁保村に建立したもので、最初は安養寺と称していた。
その後、明応元年(1492)に弘房随身の薬師如来を本尊とし、寺号を瑠璃光寺と改めた。
陶氏は大内氏の一族で、大内氏第一の重臣として代々大内氏の政務を担当していた。弘房は陶氏の六代当主で防府守護代だった。応仁の乱の際、大内政弘に従って上洛したが、応仁2年(1468)11月14日、京都相国寺の合戦で戦死した。
天正14年(1586)吉川元春が小倉で逝去したとき、この寺を霊牌所としたことから、海翁正恵大居士の法号によって寺号を海翁寺と改めた。しかし、瑠璃光寺は中国地方に門末が170寺以上もある名刹であることから、吉川家に乞い、もとの瑠璃光寺に戻した。
仁保から現在の場所に移ったのは元禄3年(1690)のこと。この地は、大内義弘の建立した香積寺が有った場所。当時から中国三か寺のうちの一つとして、古来から格式ある大寺として有名であったという。
瑠璃光寺の前庭にある国宝・五重塔は、時の将軍・足利義満と戦って戦死した領主・大内義弘の霊を弔うため、義弘の弟・盛見が建てたもの。塔の高さは31.2
メートルで、屋根は檜皮葺。 2層には手すりがあるが3層以上にはないことや、初層内の須弥壇(仏様がまつってある場所)が円形、などの特徴がある。背景に山が迫り、桜や紅葉、雪景色の映える姿は、全国でも最も美しい五重塔といわれている。
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