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キラッ/札の辻・21/おんなの目/ご意見・ご質問/バックナンバー
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170 「時の人」

 同輩の仲間が寄り合うと話の始まりは先ず御体の調子が一頻り。ヤレ
” 腰が悪うて、膝もぐすねちょる””目が段々霞むが、入れ歯もガタがきた”何だかんだ言いながらただ口だけは達者である。
 そんな仲間うちでつるんだゴルフコンペを去る4日に行う。あいにく寒波来襲、出出しからしばらく吹雪の舞う荒天、そのうち雲間に青空も見え隠れするが鳳翩颪の寒気に終日さらされる。
 よりによってこんな日に、しかもいい年をして「こねェーな寒い日に馬鹿じゃないの…」そんな顔付きの女房に送り出された面々、当人もそのような自覚がないでもない。でも折角の仲間と年に3、4回のコンペ、スコアーの不調は天気の所為にすればいい。一方昨夜来の雪のお陰で高台のコースから眺める冠雪秀麗の西鳳翩に連なる山々の景観「こりゃー滅多に見れんでョ」としばし悦に入る収穫も得た。
 仲間のゴルフの腕前は長く続けているコンペのこと互いにそれぞれ熟知。上手なりに下手なりにいつもかつも思い通りにいかないのが素人ゴルフの面白さである。
 悪戦苦闘の競技を終えてお茶を飲みながらの成績発表にうつる。
 いつも通りの順位を予想していると意外や意外、もっぱら下位常習を甘受していた御仁、通称「八チャン」が優勝。当人はもとより一同、皆驚きの激賞。たまたま彼と一緒の組であったが、打球の都度「ワシの球はどこへいったかの」と周囲に尋ね尋ねするほど遠目が効かない、でも飛球は真っ直ぐが多かった。
 満面の笑みで滔々と優勝の弁「よきパートナーに恵まれ、思えば隠忍25年振り、しかもこの悪天候の下で…」わが仲間うちで八チャンは一躍「時の人」として登場。しばらくは彼の快挙を称えたい。(満)

169 「足元から鳥が立つような…」

 厳しい寒さの冬にけじめをつけるような今月中旬の春一番、日本列島を疾風の如く駆け抜けて、にわかに暖かい日が続く。
 庭の梅が急いで咲き始めたが、このまま春の暖かさになるのかどうか? まだまだ油断はできない。季節の移りに寒暖の差はげしい今年、年が明けて間もなく身近な所で突然意外な鶏の大量死「鳥インフルエンザ」の発生は、まさに驚天動地、
`足元から鳥が立つaような出来ごとであった。
 とおーく79年振りのことだとか、アジア諸国で既に発生の報道はなされていたものの、まさか日本のしかも山口県の山間地に飛び火するなど、予想だにしなかったことである。直ちに発生地養鶏場への立入禁止、迅速な鶏の大量処分をはじめ、周辺30n以内鶏の卵、肉の移動制限など、大掛かりな防疫、感染対策がとられる。
 降る雪、積もる雪の山間において、白の防護服を身に纏い黙々と従事する防疫作業を報ずるテレビは、ほとんど白一色、鶏舎や山肌がわずかに薄墨色であった。また移動制限による鶏卵の山積み、日々生み続ける鶏と養鶏業者にとって、耐え難くむなしい思いであったことを推察する。
 去る18日、38日間の長期にわたる防疫措置の諸対策は、関係者の一致協力と不眠不休の取り組みにより、ようやく終息宣言に至り、一先ず安堵。
 地元から突然おきた鶏騒動、連日新聞、テレビに報道され、静かな山間の町とその周辺は、一躍鳥インフルエンザの先発地とともに防疫感染対策の先例地として四海に名を馳せる。なお感染源は依然として謎。さらに海を越えた大分に発生し、鶏にとって由々しきご難の年明けである。
 ともあれ県内関係者の一方ならぬご苦労を謝し、わが県産の鶏卵、鶏肉をしっかり食べますぞ。(満)

168 「楽農」

 この冬は断続的に寒波が押し寄せ、しかもその寒気は急速冷凍で随分とぞんざいである。
 天気に文句をいっても仕方がないが、もうちょっと寒から暖へじわじわ順序よくいくように何とかして貰いたい気がする。
 暦は既に立春、月めくりのカレンダーを1枚パリッと剥ぎ取った2月の絵は、五重の塔を遠景に紅梅の花咲き誇り、空には白雲点在の青空が広がっている。
 絵に誘われて両手をあげ欠伸をしながら背伸びをしてみるが、外はまだ雪の舞う日が多く青空は時たましかない。
 気になる畠の大根。1畝20本ぐらいで既に去年の暮れから少しずつ穫っているが二人暮らしには少し多過ぎる。ほったらかしにすると薹がたち駄目になるので晴れ間の朝方、全部引き抜く。畠の往復路である「札の辻」鱧氏宅に泥つきのまま一部出荷。「みずみずしいですョ…」と奥さんに誉めて貰い、食通の鱧氏からは擂り大根の秘伝料理を教わった。前夜の冷え込みで青首上半身を外気にさらしている大根のこと、半分は冷凍漬けで駄目だっただろう。
 小作の畠をはじめて既に数年。土を耕し畝作り、種を蒔きあるいは苗植えに、季節の時期を違えない限り種はちゃんと芽を出し、苗はしばらくしおれてしょんぼりするが、やがて芯の茎や脇の葉っぱは起き上がる。
 土と太陽、雨風の恵みに作物は季節にそって素直に育ちやがて月日を経て成熟する。
 畠作は手間のかからない根菜を主としており、草も生い茂るが虫もいる。できるだけ共存の畠作方針で、いたって無精な小作である。
 専業農家には申し訳ないが、時折の畠で春秋の日を浴び、土や草、野菜の匂いを嗅ぎながら長閑な楽農の百姓もまたよし。(満)

167 「ウッサンボーボーハッチョンチョン」

 小寒から大寒入り、冬の寒さは真っ盛りである。
 北海道、日本海沿岸の東北に比べるとこちらは朝晩の冷え込み、雪の舞う日も時々でまずはしのぎやすい冬であろうか。
 毎回なんでもない話で恐縮だが子供の頃、「寒い」の漢字を”ウッサン、ボーボー、ハッチョンチョン”と唱えるようにして覚えたことを思い出す。
”ウッ”はウ冠のウで、”サン”は漢数字の三、”ボーボー”は三の上の二を串刺しに縦棒を2本、”ハッ”は三の下にカタカナのハを大きめに、
”チョンチョン”はハの中に点を二つ、これで「寒」という漢字になる。ウッサンボーボーは「鬱散暴貌」と書くのかどうか、辞書にそのような語彙は見当たらない。ただ語呂からなんとなく吹き荒ぶ冬の木枯らしに頭の髪が散散に乱れる寒さを思い浮かべる。
 誰から教わったのか、学校の先生からの記憶はない。たぶん家で親か兄姉かあるいは友達だろう。
 漢字を正確に覚え、書き取り試験でそんな漢字にでくわすと助かる手立てであった。
 このほかにも二、三、語呂合わせの漢字がある。
”イチクチソイチ”は豆
”ヒヤマフトビト”は疑
”サムライツエイチインチ”は壽。これらは漢字、ひらがな、カタカナのまぜこぜだが、順序よく書き進むとその字になるから面白い。
 もっとも今は常用漢字になり総じて字画も少なく、語呂合わせの記憶術も聞かなくなった。
 たまにこんな話をして「ウンウンそうじゃったのォー」と相づちを打つ世代もだんだん少なくなってきた。世はさらにIT時代、漢字を書くことも記憶することもあまり必要でなくなるのだろうか。なんだか漢字国の行く末に”ウッサンボーボー”一抹の寒さを感じる。      (満)

166 「小さな旅」

 年末年始の連休前後土日が続き、例年より長い休暇で子供達の帰省も早くて長逗留。
 お陰で家の年末掃除でもはや手出しの難しくなった高い所や、メカ機器の家具の補修など、彼らによりきれいさっぱりした。大晦日は我が家の慣わしとしている年に一度、家族との小さな旅。
 この度は山陰の海辺に一泊。夕闇にこだまする日本海の荒い波音は、さもこの一年の国内外の不穏な動きにも似て聞こえてくる。イラク戦争や北朝鮮問題、国内では子供の殺傷・誘拐事件の連鎖反応、農作物の泥棒や大掛かりな窃盗の横行、巧妙不埓なオレオレ詐欺など世はまさに物騒、不安な世情でこの一年が暮れる。
 明ければ波静かにしておだやかな天気、でも初日は雲間のご来光で元日を迎える。
 宿近くの山頂に達する冬枯れの棚田を眺望しつつ、とおーい我々祖先の農耕民族による智・徳・体の偉業をしのびながら山並みを縫って山口に帰る。正月恒例の神頼みでごった返す人波の大神宮に参拝、今年こそは少し明るく、平和と安全な世になることを祈る。
 これで我が家の年の瀬と正月の行事はおしまい。子供らは翌日帰り仕度にあちこち忙しく、3日朝早くに出立。
 ”この分なら老いた二人暮らしも、まだなんとかやっていくだろう”というような顔をして帰っていった。正月三が日が過ぎると、いつも通り、話し声の少ないテレビだけが喋る暮らしに戻る。気の抜けたような反面、ほっとした気分でこれからの一年が始まる。
 今年の干支は申(猿)、猿真似、猿芝居など人間は猿を悪しげに比喩しているが、今の世の人間を猿からみてどうだろう?
 猿に反省より人間自身の反省が大事では。(満)

165 「ひっつきもんもん」

 暦のうえの廿四節気では立冬・小雪もとっくに過ぎ、去る7日は大雪
”天地閉塞し北風吹き荒れ雪益々降る季節の義”であった。折しもその日から俄に寒気せまり冬の気配、漸く濃くなりつつも、それまでは暖かい小春日和もあり長長の秋はおわる。ともあれ変わることのない1年の明け暮れは今年も残りあと20日。正月を迎える家の掃除などまだまだ手つかずでいるが、先だって恒例のまずは町内の溝掃除。裏通りの小路にそった雨水のみの長さ200rばかりの溝、今年はいつになく雑草生い茂り、漸く尾羽うち枯れたとはいえ小さな実をつけて、茎は湿った泥土にしっかり根を張っている。
 引き抜くには大変だから、溝に入って背丈ほどの草をわしづかみ鎌で刈り取る。草に覆われて汚れた溝はポイ捨てに格好なところで、ビール、ジュースの缶、ビニール袋などさまざまなゴミ。草と燃えないゴミを分別、袋詰めにして軽トラック3、4回の往復で作業完了。
 ほっとしたみんなの顔は心までも洗ったような笑顔が広がる。「お疲れでした…」と交わしながらお互いの作業衣、軍手、帽子など見ると草の実の「ひっつきもんもん」がまぶれついている。
 「こりゃぁー大変じゃ」指先で一つずつ抜き取るが、とても取りきれないまま「……もんもん」は町内各戸に散らばっていく。子供の頃、こんな草と遊んでたことを思い出しいろいろ調べてみる。溝の草は本名「アメリカセンダ草」ほかに「オナモミ」「ヌスビトハギ」など道端や荒れ地、山野の藪に広く分布とある。歳時記では藪虱、草虱と詠まれ、方言では「ひっつきもっつき」「…もんつき」「くんしょう」など。そういえば草の勲章つけて威張っていたこともあった。
(満)

164 「三食三昧」

 終日家にいることが多くなってほぼ7年、何もしない日は3度の食事を1回ぐらい抜いてもよさそうだが、厄介なもので長い食習慣、朝・昼・晩きまって食べないと調子がくるう。
 賄い方は依然として女房の専属。朝はともかく、昼、夜とおして食べ方が一人いると手抜きもままならぬらしい。
 朝食は定番のパン食、これはみやすいので今では相当助手もできるようになってきた。
 テレビの朝ドラと同じ頃の朝食だから、洗顔、新聞、うろうろしていると忽ち正午近くになる。「ハァー昼のことをせんにやぁーいけん」さっき食べたばかりで、腹もさ程空いていない、賄い方のつぶやきで昼食の用意。うどんかラーメンまたは御飯に魚の干物、味噌汁、ときにお茶漬けなどさまざま。総じて軽からず重からずの昼食である。午後一時すると賄い方は夕食への準備。「今日は何にしようか? 日がな食べることばっかり…」独言を口にして頭をかしげ献立の思案、広告の裏紙にポツポツ食材をメモ。いつもの店に買い出し、重い足どりで大きいビニール袋を持ち帰り、飯台にドサッと置いて台所に収める。
 これで暫く一休み。
 夕方4時過ぎると台所でカタコト、カタコト調理の音が始まる。
 何んにもしないのに腹のへる秋、夕食は何だろうかと興味津々。
 思えば3食賄い方は朝から晩まで大変な仕事である。
 しかも年中無休、ときに外食もあるがそれとて今どき多くなった連休の日数に及ばない。コンビニ、スーパー、外食店、食べることに事欠かない時世だが、やっぱり手作りがいい。夕食は水炊鍋で、飯を2杯も食べる。「日残リテ昏ルルニ…」”あと千回の晩飯”食べられるかな。(満)

163 「今年の秋の黄色い野花」

 異常な少雨、高温の秋も日毎に落葉秋色の気配を深めている。
 この秋、黄色い草花で目立つのがセイタカアワダチ草である。
 かつては花粉症の原因として一斉駆除も行われていたが、その後そう
では無いということで野放図にされている。
 北アメリカ原産で、いつからか日本に帰化した野草である。空地や河川敷、土手、休耕廃田など至る所、わがもの顔に群生し、秋の七草ススキなどを駆逐する勢いである。一度汚名を被り、さらに異常に強い繁殖力をもつこの花は、雄々しく林立し秋風にそよいでいてもどうも可愛げがない。
 それに比べ晩秋から初冬にかけてひっそりと、長い花穂に真黄色な花を次々に咲き続けるツワブキは、寂寥の暮れゆく秋に心なごむ花である。
 日本古来の野草で、花の少ないこの時期に希少な花として愛され、寺社庭園には必ずあり、普通の家庭にも方々で見かけることができる。
 路地向かいの家では門扉の柵を透かして眼に入る花壇に、早くから黄色いツワブキが咲き誇り、その容姿は堂々としてたくましい。
 なかにひと房だけ門扉の外側に顔を出し、隣人に挨拶をしているように
頭をかしげている、家人の心配りだろうか。
 わが家の狭い庭のツワブキは、春から夏にかけて日陰をしていたコブシ、カイドウが漸く裸木に近づき、秋の日を浴びて咲き始めてきた。
 ひ弱な花茎に花穂、線香花火のような花びらで「こんな家より山野に帰りたい…」といいたげな顔つきである。
 日照を好み乾燥に強いといわれているので、この秋の異常な気象は、むしろ最適だったのか、他外に咲くこの秋のツワブキはひときわきれいである。(満)

162 「物騒な世の中」

 朝夕めっきり涼しさをとおり越し、急に寒くなってきた。でも昼間の日射しは汗ばむ暑さもあり、毎日着るものの手加減にとまどう。
 あちこちの田圃はすでに秋の取り入れの終わったところが多くなってきた。
 東北では寒い夏で雨も多く稲の実が成らなかったという話もあり、この地方も例年ほどの収穫ではないとのこと。
 稲作や野菜、果物など総じて農事は、やり直しのきかない1年に1回だけの勝負である。
 作物の生育手段は、昔に比べはるかに近代化されてきたが、作柄の良し悪しは昔も今もお天道様次第であることに変わりはない。このところ天を仰ぎ凶作、不作に嘆く生産者をさらに追い打ちをかけるような作物泥棒の横行は、なんとも許し難い憤怒の所業である。
 もぎ頃の葡萄や梨、取り入れたばかりの米袋、なかには刈り取ったハゼ掛けの稲束ごと、ごっそり盗む泥棒もいる。
 いやはや人倫、地に墜ちた感、自我強欲他人のことはどうでもいいという物騒な世の中になったものである。
 先だって地域安全運動旬間の催しで「身近な防犯知識と対策」「ドロボウとカギ…、泥棒達の告白より」などの資料と専門家の話を聴く。泥棒は年々増え、ピッキングいわゆる家屋侵入手口は巧妙、高度化してきた。そのため玄関、勝手口、ガラス窓は新式の錠前と補助錠を備えるように、またガラスは強い衝撃や火炎に耐えるハイレンドという防犯ガラスがよい、とにかく
`泥棒に犯行を諦めさせる時間稼ぎの設備対策が必要aということであった。
 石川五右衛門のいう通りこの世に泥棒の絶えることはない。都会も田舎もこんなに物騒な世の中になってしまったのか。
 憂いとともに秋も深まる。     (満)

161 「命懸け、カマキリの雄」

 今年も季節はすいすい経って天高く馬肥ゆるの候となってきた。
 去る9月末、季節毎に催す同年同士のゴルフクラブのコンペに参加。
 お互い70年代の中半、常連も段々少なくなっていくのが淋しい。体力も年々下り坂、ゆるやかなカーブも次第に階段状であるが、口だけ上達者になるので楽しくもある。
 その日ゴルフ場の空はいよいよ高く、陽射し涼風、ときに強く快適な秋日和であった。コースの山裾や堤には、すすき、はぎ、彼岸花など、藪にはムカゴも実る頃である。途中高台のコースをチョロチョロ打ち続けてゆくと、前の仲間のパートはグリーン上でパターを片手にワイワイ騒いでいる。「こんならーは何をしちょるんか」と言いながら漸くグリーンに上がるとハテサテ。
 秋の陽をいっぱいに浴びて悠然とオオカマキリの交尾中一対。カップ近くで邪魔だから足先で逃げるように促すと、体の大きい腹太の雌は威嚇の目玉を向けて僅かに移動。仲間のひとりは両手をつき、頭をかがめて凝視「ウン、ヤッチョルヤッチョル」と童顔ではしゃぎよう。ラウンドを終え皆との談笑も一頻その話、しょせん意欲はあっても能力すでに枯れ衰えた面々、若き頃への回顧、羨望の一興であった。
 その後博物館でカマキリの生態を調べる。
 彼等の常食は肉食でしかも生きた獲物のみ、従って共食いもままある。成虫の交尾期の雌は食欲旺盛、体も大きく、小さな雄が不用意に近づくと獲物と間違え食べられる危険もある。種族維持の使命である交尾は、雌に寄り添う雄にとってはまさに命懸けの真剣勝負。
 思えば厳粛、崇高な営みの光景に僥倖をえて興に乗ずるは失礼千万、ひたすら恭悦すべきであった。(満)