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190「ドカ雪」

 2月に入ると朔、2日続いて山口の明け方は、ドカ雪の景色であった。
 屋根、垣根、木々、そして道も田畑も山も雪が一杯で地上いずこも真っ白、雪の舞う空は薄墨色の暗さで、いっとき天地の明るさが逆さまのようである。
 ときたまの積雪で自動車事故の頻発、また平素常用しない長靴、スコップが雪掻き用のためか、にわかに沢山売れたのがニュースであった。
 日本列島この冬一番の寒波来襲によるこの雪は山口でたかだか20a足らず、それでも雪の朝行き交う人々のあいさつは「ヨーマァー降りましたノォー」と驚きあう。
 豪雪地域の北海道や東北、北陸とこの山口の積雪を比べれば天地雲泥の差で、それを一様にドカ雪といってはまことに笑止の沙汰であろう。
 ニュースでみる新潟中越地震の被災地では19年振りの豪雪で一晩に1bも積もり、既に3bにも達している様子。まさにこれぞドカ雪である。
 屋根の雪下ろし、出入口確保の雪掻きと連日大変なご苦労であり、全くお気の毒の一語につきる。
 雪下ろしの村人がポツンと「しょうこと無いや宿命だから、でも早く降り止むといい」。降る雪空を見上げ、白い息を吐きながらのつぶやきであった。苛酷なまでの自然の営みに(地震、豪雨豪雪)それでも住み馴れた土地と共に生きてゆこうとする素朴で辛抱強い村人の心情である。
 そして誰よりも春を待ち焦がれる雪国の人の切実な祈りの一言でもあった。
 暦のうえでは立春を過ぎたが2月一杯はいつものことながら、寒くて雪もまだ降るだろう。
 北国とりわけ中越地震被災地の人々のご苦労を偲びつつ、ひたすら春を待つ。 
        (満)

189「ちょうどエエかげん…」

 今年は昭和で言うと80年である。平成が既に17年も経っているのに昭和1桁のしかも初め頃に生まれたものにとっては、昭和何年と数えて呼ぶほうが何かにつけて便利である。自分の年齢はその年の昭和○○年から、生まれ年の昭和1桁の○年を引けばズバリである。
 戦後日本の紀元年号が消され専ら西暦年号を使用するようになった。
 西暦は昭和年代に正確には1925年の足し算であるが、きりがいい下2桁の25年を加算すればよい。今年昭和80年に25年を加えると西暦05年となるようなぐあいである。これを平成年代に応用すると88年を足し算することになり、とても右から左へスラスラと答えがでない。
 マァこんなたわごとはともかく、正月以降小寒から大寒へと、寒さの底へいくように日を追って冷え込みがひどくなってきた。その中で何かのひょうしにカゼを引き、熱があるようで無し、 水が出たり咳もある。お医者さんの薬をのんでいるが時々忘れるので治りが悪く、どうもシャンとしない。家にこもって寝たり起きたり、それでも3度の食事はキチッとする。だから今日、明日にどうこうということはないが、年齢からすればいついってもおかしくはない。昭和の初め頃の生まれで今年は昭和80年であるから。
 この年になって、若い人から「人生長かったと思いますか、短かったと思いますか」と尋ねられたらどう答えたものか?「ちょうどエエかげんじゃろう」というほかはない。
 庭の老梅が寒気に耐え、哲学者のように泰然としている。その梢には小粒で薄紅色のつぼみをつけ春を待っている。老木にふさわしく今年もちょうどエエかげん”な花と実をつけるであろう。
        (満)

188「雪降りしきる初詣で」

元日の朝方から降り出したぼたん雪は辺りの景色を見る間に濃い雪化粧に染めていく。
 新たな年の元日にふさわしい自然の情景に心ひかれ、降りしきる雪のなかを大神宮に初詣で。
 「今年こそは穏やかな年でありますように」と、同じ想いであろう多くの方々と雪の舞う社殿にひたすら祈る。
 去年の世相を表す漢字に「災」が決まり、暮れも僅かになって又もあのインド洋大津波の惨事で、まさに地球規模の災の年であった。
 天変地異、天地騒々のこの有り様は人間の身勝手さに対する地球の怒りにも感じ、身をつつしむること肝要なり。
 年末年始は子供達も都合で帰らず家中全く常と変わることなし。従って大掃除や片付けもなおざりにして支障なく、厄介なガラスの窓拭きも雨を伴う再三の台風で雨戸もガラスも洗われていた。
 お正月の支度は、玄関の輪飾りと、床の間への鏡餅を供えるだけである。大晦日から正月3が日、起きて、食べて寝る。恒例の紅白歌合戦、元日のサッカー天皇杯、2、3日は箱根駅伝など、テレビに見入りあるいは見飽きてうつらぼうぼう。
 それにしても元日の朝方から霏霏として降りしきる大雪は、豊の年(豊作の年)の兆として古く万葉集にも次のようにうたわれている。
「新しき年のはじめに
豊の年しるすとならし
雪の降れるは」(葛井連諸會)これに気をよくして年始より夕べの入浴は日本名湯の温泉に浸る。
 先ずは遠く北海の登別、次いで城下町加賀の山代、さらに箱根奥湯本の温泉など、いずれも芳潤な香り湯、神経痛、あかぎれ、美肌などに効能。居ながらに各地を巡る名湯の入浴剤、つましく身を温め、元日の瑞兆に夢を抱く。     (満)

187 「いつもの年の暮れ」

 先だって本欄のジョウビタキについて、いろいろな方から話があった。
「あれはヒンカチちゅうていうじゃろう」
「うちにはヒンカチもくるが猪も狸もくるでの」
「″ヒンカチ貧でも 紋付き着ちょる℃q供の頃からよく礼をする鳥といいよった」となかには葉書までいただいた。
 おおせの通り方言ではヒンカチが大勢で、ヒンコチ、モンツキとも呼ばれている。このあたりでは初冬の人懐こい渡り鳥のひとつであろう。
 相変わらずうちのヒンカチは隣近所の庭から庭へお辞儀をしながら弧を描きのんびり行き来をしている。
 今年も既に何かと気忙しい暮れの12月、ヒンカチに見惚れてのんびりするわけにもいかない。
 いつもの年の暮れ、目下賀状書きに追い立てられている。なにしろパソコンなど文明の利器は手に負えず、時代おくれの手書きだから手間がかかる。年始にいただいた賀状の束をめくりながら、表の宛名書きはともかく、裏は先様にふさわしい新年のご挨拶をと思いながらもついつい決まり文句になってすぐ飽きてくる。
 まだ半分も進んでいないが、その中で印刷例文に添え書きのある一文に巡り合った。
 「賢く見える様に何か気のきいた文をと考えますが、何にも浮かびません。ずーっと書き続けていますので指も痛いし、頭もボケてきました…」
 なんとも素直な賀状でこちらを見透かされたようで頷きながらニタリとした。
 いま賀状書きの日課、まさに実感であり、ほのぼのと勇気づけられている。年賀状は年始、年末2度拝見するとまた面白い味わいがありました。
 ともあれ年に1度の賀状、平和な時代の無事の報せと思えば可なり。      (満)

186 「ジョウビタキ」

 今年の秋の紅葉は夏からの記録的な激しい台風の来襲で、山口盆地の彩りもあまりパッとしない。
 庭のモミジ、ドウダンツツジ、コブシも梢の葉っぱは嵐に食いちぎられた格好のまま、くすんだ色合いで落ち葉になっていく。そんな折、紋付羽織を脱げばいとも鮮やかな秋色で装った鳥、ジョウビタキが庭にやってきた。先だっては本欄の「札の辻」鱧さんの宅にも夫婦でお目見得したとのこと。近くのことだから多分一族郎党の群うちだろう。やはり人懐っこく頭を下げてお辞儀をしヒッヒッ カッカッ ヒッ カッカッと地鳴きをする。
 雄雌とも翼に白斑、目立つ紋があり、腰と尾の両側が赤橙色、雄は頭が銀灰色、胸から腹部は鮮やかな赤栗色、雌は全身灰褐色である。紋付を除けば秋の野山の何処でも目にする尾花、そして見事に熟れた柿、栗を連想する色合いで、まさに秋の色模様をまとった渡り鳥である。彼等は越冬中縄張りをつくり、低い枝などに止まって地上の昆虫や木の実を捕食しているとのこと。
 我が家では庭続きに駐車している車のバックミラーの縁を止まり木の枝がわりに利用している。はじめのうちはそれも良しとしていたが、彼はそこで脱糞をし車体に白い糞を付ける。日に何度も拭きとっているがいたちごっこ、今ではほとんど姿は見せず、むなしく脱糞を拭きとるのみである。晩秋のさえない庭によくぞ訪ねてきたものだと思っていたが、今では少々厄介もの。さらに隣の家の車にも同様な脱糞の形跡があり、うちの鳥でもないがなんだか悪いような気がしている。
 見た目はきれい、慇懃に頭も下げる、でも内心はこちらを嘲笑っているらしい、よくあることで…。        (満)

185 「アシナガバチの巣造り」

 庭のアシナガバチの巣が空き家になったのは、秋の深まってきた証拠である。ハチの一家はその生涯の使命を終え、新たな女王バチのみが種族存続の役目を帯びて越冬のため巣を離れたのである。この夏の盛りにそのハチに2回も刺されたので、空き巣とはいえ恨めしくもあり、また一面あの凄まじい台風にも耐え凌ぎ見事に生きぬいたことをほほえましく思う。
 庭のアシナガバチの巣造りは、毎年垣根の一個所が定位置で、ドウダンツツジの下枝であった。
 そこは葉っぱが雨や強い日射しを避ける屋根のように茂っており、下側は風通しもよく出入りに便利な場所である。
 今年はそこに見当たらないので「さては来なくなったのか」と思っていた。ところがである。新緑の芽や夏草の弥栄に茂る頃、伸び放題の垣根の蔦を切れ味悪い鎌で殴り刈りをしていると、突然アシナガバチの精鋭が飛び出し右腕の手首をチクリ。「アレ今年はここにいたのか」と驚き巣の在りかを探すが、蔦の葉や蔓に隠れてみえない。
 もう1回刺されたのも同じような手順で、庭石の陰にあるツツジの新芽をこれまた殴り刈りしていたときやられた。
 このハチの巣も葉っぱの下枝の密集したあたりで外からはみえない。
 ともあれ今年の庭のハチは、若しこれまで通りの定位置に巣がけをしていたらあの再三の台風来襲に一溜まりもなく吹き飛ばされ、哀れ壊滅惨死の憂き目に遭っていたであろう。それが巣造りの4、5月頃夏から秋にかけての悪天候を予見した如く安全な場所を選定している。人知を越えた予知能力を備えたハチに恐れ入った次第。さて来春のハチは庭の何処に巣がけをするか興味津々。子供の頃夏の野山でハチによく刺されあれからお医者の注射が嫌いになった。(満)

184 「風邪をひいた」

 あさ目が覚めてから布団を抜け出すのが大儀になってきた。これまでのように寝間着のままで新聞を取りに庭へ出ると冷やっとする寒さである。
 ついこの間まで「早う涼しゅうならんかのぉー」と暑い夏の長尻に愚痴をいいつめていたのが嘘のようである。
 といって朝方は寒く日中は暑い日もあり、この時期は着るものの調整がなかなかむつかしい。
 どこで遣り損ねたのか、多分寝冷えだろうが風邪をひいた。
 体中がだるい、熱があるようで無いが、あつぼったい、何にもする気がしない。
 お医者さんに掛かったのが9月下旬、あれこれ薬を3回変えて貰い、この程ようやく治ったようである。その間、家に居たり出たりであるが、主な行事といえば葬式が三度もあった。同年と年下の友人で、長く患っていた一人のほかは突然の死である。
 この夏の長い猛暑がこたえ、突然朝夕が冷え込んで風邪をひき、それを拗らしたのだろうか。だったら同じ風邪をひいた私が逝ってもおかしくはない。「吾れや先き、他人や先き…」白骨の御文章の一節の年代にぴったりとなってきた。
 風邪をひいて喉が痛くなり煙草を吸うと咳き込むので目下禁煙中、そしたら朝から食事がうまい毎度、食欲旺盛である。
 この分ならまだしばらく身がモテそうである。
 10月から始まった朝ドラのテレビに登場のお婆チャン、時折り家族の者がゴタゴタする中で、独り言のように、あるいは諭すように「人間生きてるだけが丸儲け」というセリフがある。
 風邪をひき、人が逝き、季節とともに黄昏の今日此の頃、お婆チャンのあの言葉がなんとも気にいっている。        (満)

183 「疾風迅雷、嵐のあと」


「ようやくの秋日和」
 台風一過ようやくにして天高く秋晴れの日和になってきた。21号台風(9月29日)の通り過ぎた明けての日からである。
 背戸の木犀が”待ってました”と言わんばかりに花を開き、さわやかな芳香を家のうちまで漂わせてくる。
 ふだん目立たないこの木は秋盛りの天気の日、にわかに芳しい匂いに気づき「アリャー今年も咲いてくれたのか」とつられて庭に出る。
 木に近づき見上げながら深呼吸、思い切り匂いをひとりじめに嗅いで花を見る。深緑色の葉腋にびっしり、四つに裂けた小さな黄金色の花をつけている。この時期は既に受粉を手伝う蜂も蝶々も見当たらず、花の後の実を目にしたこともない。
 一体全体、木犀は”何を得るために”いい香りを放ち咲くのだろうか? 不思議である。
ふと評論家故人・草柳大蔵氏(私の尊敬する人)の一文を思い出した。『大徳寺龍光院の老師・小堀南領氏、この人ほど禅の第一人者でありながら、禅から自由な人は知りません。チャールズ皇太子が龍光院を訪問されたとき、案内されるままに僧堂その他を見廻って、最後に小堀和尚に訪ねられました。「What's gain?」。(座って何が得られるのか)和尚は答えませんでした。そのまま廻廊に導き、庭内に屹立する楠の大木を指して皇太子に問いかけました。「What's gain?」。(この木は何かを得るために立っているのか)で、皇太子はなんと答えたのですかと和尚に訊ねると「さすが皇太子ですな、にっこり笑って、うなずかれましたよ」と淡々とした答えでした。』
 自然の草木は”何かを得るために”生きているのではないということ。
 ”木犀の香に あけたての障子かな”(虚子)      (満)

182 「疾風迅雷、嵐のあと」

 「ドドッ、ドドッ、ゴゥー、ゴゥー…」と竜神の唸り声をあげて襲ってきたような台風18号は予報どおり疾風迅雷の嵐であった。黒雲は昼間の空を覆いいそがしく走りながら大粒の雨を地上に叩きつけ、建物や家屋を揺さぶり、屋根や田畑を引き掻き回し、立木、電柱などを薙ぎ倒す強風は、かつて13年前の怖い台風の代名詞ともなっている19号台風に匹敵するものであった。その後会う人々に「お宅は風の被害は如何でしたか」とお尋ねすると、「屋根など少々いかれまして…」と一様に返ってくる。我が家も余所並に屋根が壊れたが、こんなとき幸いにも心強い屋根屋さんが隣である。翌朝早く隣のご主人が垣根越しに長い梯子を家の屋根に掛けて、「応急処置ですが本格的にはまた…」ということで一安堵。雨漏りがないので今日、明日の暮らしにさわりはない。
 それに比べ今度の台風被害で一番難渋されているのは農家の秋の取り入れではなかろうか。
 実りを迎えた稲は一面横倒しの有り様で、これまでのように機械ですいすい鼻歌での作業という訳にはいかない。
 しかも時期を失すると駄目になる。そのうえ台風後の天候は一気に秋空と思いきや、暑い日射しにこれまでなかった夕立の大きいのが毎日の如く続いている。
 手間はかかるは、日和は悪いしかも寸刻目の離せない稲の取り入れは、農家にとって骨折り多く忙しい今年の秋だろうと拝察する。
 かつて収穫の秋を農繁期といい猫の手も借りたい忙しさであったが、機械化によってその言葉もあまり聞かなくなってきたが、18号台風はその農繁期をドッサリおいていく。難を逃れた彼岸花は素知らぬ顔で畔道に背筋を伸ばし今を盛りに咲き誇る。        (満)

181 「熱戦続きの暑い一夏」

 季節を前倒しのように今年の春・夏は早め早めにやってきたが、その夏はどひょーし暑くしかも少々長いようである。
 さきの台風16号さらに強い18号は夏の締め括りのように、日本列島のあちこちに無残な爪痕を残していった。
 その後は朝夕とりわけ朝は涼しくなってきたが日中の陽気はなお夏の暑さを引きずっている。
 思えばこの夏は県内であるいは遠くで17日間ずつの熱戦に終始した一夏の感である。その始まりが参議院議員の国政選挙、間もなくして県政の知事選挙と続き、いずれも17日間の暑い夏の真っ盛り。照りつける太陽は炎天灼熱の暑さの連日、ときたまの雨は局地土砂降りという天候のもと、論戦もさることながら気力、体力を必須とする暑い熱い選挙戦であった。
 続いてはスポーツ競技の熱い戦いを日夜観戦。まずは高校野球の甲子園の熱戦、郷土球児は連続出場とあって大きく期待するも去年の8強に至らず無念。異常な猛暑で熱射病に配慮し競技中審判員の水を飲む映像に、こちらも冷たい麦茶で一息入れる。深紅の優勝旗が北海道に渡るのも史上初の快挙であった。甲子園と重なり世紀のアテネオリンピックの開幕、これも17日間の熱戦は時差6時間もあって昼夜のテレビ漬け。世界各国の強豪揃いの競技に郷土山口県からの選手も出場し、より身近に感じて、多くの感動を与えてもらった世界の祭典であった。
「3度目の正直です…」
 金メダルに輝く阿武教子柔道選手。「3度目の5位です…」と入賞に爽やかな油谷繁マラソン選手。ともに郷土の山深き緑の風、海辺の浜風に育った両人の素朴な笑顔に惚れ惚れと喜びを感じさせられた。こうしてさまざまな熱戦と暑い一夏が過ぎてゆく。(満)