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 220「大型連休と年中が休み」

 4月末から5月にかけての祝日「みどりの日」から「子供の日」それに土日が連なる。さらに勤め人は休日に挟まれた5月1日・2日の平日を年休に振り替えると、なんと9日間の大型連休である。空に陸に日本民族大移動、季節は陽春の盛り、これに併せて各地の祭や催しものが大賑わいだそうである。
 既に年中が休みの我が家では連休が大型であろうと小型であろうとあまり関係はない。
 ところがこの連休を利用して遠方の子供達が年に一度の里帰りをする。
 いつもの掃除も少し念入りにし、食べごと、寝る布団などは女房の係、あとは2・3催しものへの案内を模索思案。
 静かな我が家も人口が倍になり多少は賑やかである。
 折よく県立美術館でウィーン美術アカデミー名品展の鑑賞、日を替えて毛利庭園と恒例の催しものに案内。夕食はとびとびで3回外食、その一夕は温泉にも入り常よりは優雅なり。
 子供のいる間に我が身辺整理の一つ古本の処分を思い立つ。少々力仕事で年寄りには無理、丸ごと手伝って貰い一気呵成に片付き一安堵。
 この連休始めから近くの象頭山山頂に勇壮に新緑の風に泳ぐ鯉幟、幸いに我が家の2階の窓から至近の距離で眺望できる。
 つい見とれて口遊む童謡こいのぼりの歌。
 “屋根より高いこいのぼり 大きいまごいはおとうさん 小さいひごいはこどもたち おもしろそうにおよいでる”
 この一節のみで何故母さんがいないか疑問。1931(昭和6)年作詞、一説には家父長制の時代的背景とか。
 子供達の連休はアッという間に過ぎ、女房は「気が抜けたようで…」とまた年中の休みに戻る。    (満)

 219「家の中の居場所」

 「『あんたァわたしが掃く方ばっかりおって邪魔になるが、どこかへ行くところはないそかね…』
 おそい朝食後、居間で寝そべって新聞を読んでいると、家内が箒をもって追い立てる」
 苦笑いの表情で、友人Y氏の近況報告である。
 彼の話は少々オーバーで無聊の日々の一齣であろうが、今時箒で掃除するなど見かけることもない。あるとすれば相変わらず昔のままのサザエさんのお宅ぐらいであろう。
 彼は教職を立派に定年で退職した後、請われて第二、第三の職場も終え、漸く自由な身、常住座臥、家にのんびりしているのが当たり前である。
 奥さんにとっては、亭主の長年に亘るご苦労を労りつつも、これまでは日曜を除く昼間、独りで家事専業の長い生活習慣であった。それが三度三度食事の世話から、掃除洗濯も意のままにならずついついあの若い頃の“亭主元気で留守がいい”の本音がときに口から、そして素振りにも出てこようというもの。私も彼より早く自由な身になって既に一昔(10年)。
 いつとはなしに下宿人然として、家の中では常時居場所をきめている。
 机、本棚や物置部屋などのある2階が我が輩、台所に続く居間など1階が女房の定位置。
 日中は食事が済むとそれぞれ1、2階に別居、お互い気にすることは全くなし。そのうち双方邪魔をしない手立てから掃除も分担するようになり、階段の踊り場を境目にして階上・階下に分けている。掃除は担当者の気随気まま、双方口出し、手出し無用。
 2階の掃除はほぼ1カ月置きを目安に天気晴朗の日を選ぶ、塵埃相応に積もり掃除の効果甚だ顕著である。家の中にいつからか境界があれど往来は自由、先ずは平和なり。(満)

 218「清明・穀雨」

 一年の二十四節気は四季の転換日である立春・立夏・立秋・立冬のほか季節の移り日の呼名で毎月二つずつある。
 4月は5日の「清明」と20日の「穀雨」で、前者は草木清風に逢い桜花爛漫、万物清新の気満つる気節、後者は百穀春雨に潤いてその生長をたすける気節と開運暦に解説されている。
 自然界の清新な営みの始まりが目にも見え、肌に感じる季節が4月ということであろう。
 日本ではその4月からの1年を会計年度あるいは学年度とし、1月から始まる暦年と併用している。何故このようになったのか由来や理由などあまり定かでない。
 会計及び学の年度は就学、就職、就業にかかわる1年1年で、生涯の大半を占める現役人生に作用する大事な節目である。一方暦年は元旦、大晦日による心気一新、自然の四季の移りに心動かす歳月である。
 とにかく日本では世界標準となったグレゴリオ暦、すなわち暦年を基本とし、これと異なる区分の年度はそれぞれ法律をもって定めている。
 学年度は桜咲く4月が始まりである。これに伴う難解な次の法律を一読されたこともおありでしょう。
 「保護者は、子女の満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満12歳に達した日の属する学年の終わりまで、これを小学校…に就学させる義務を負う」
 学校教育法第22条の小学校就学義務規定である。
 わかりやすくいえば「子供が満6歳になったら小学校1年に入学させ、6年間就学させなさい」ということ。正確な日本語ほどむつかしくなるそうです。 ともあれ昨今はもっぱら暦年の月日に安住、漸くのぽかぽか陽気、春百花に和む。         (満)

 217「冬から春へ峠越え…」

 3月の中旬にもなって何十年振りかの大雪に見舞われ朝一面の雪景色に魂消る。日中は降ったり止んだりの雪で、次の日はまるで打って変わり暖かく陽春快晴の終日。
 その翌日は今度は底冷えのする東風に朝から冷たい雨が降り続く。
 この時期お天気は日毎に豹変、冬から春へ険しい峠越えのようなもの、それ故に余計に春が待ち遠しい。
 そんな日々のこの頃でもほっと幸せな一時もある。その一つは寒い春暁の二度寝である。
 明け方尿意をもよおし目覚めてくるが起きるのが大儀、まだ外は暗い。
 次第に尿意の我慢は限界に達し遂に意を決してトイレに急ぐ。
 放尿放心、ブルッとして安堵また急いでもとの床にもぐり込む。
 温もりを保っていた布団が冷えた身を包み、二度寝の眠りを誘う一時はこのうえもない幸せである。もとより用無しの特権で、しかも年とともに常習となる。
 もう一つは今度は暖かい朝、新聞を取りに庭に出るついでにイナバウアーの姿勢で深呼吸をする一時である。既に周知のトリノ・オリンピックの終盤で、我々に衝撃的な感動と留飲を一気に下した快挙、フィギュアスケート競技で金メダルに輝く荒川選手の華麗な得意技の一つである。
 以来これにあやかり、イナバウアー深呼吸と名付けている。
 両足を広げて踏ん張り、両手と顔を空に向けて背を反らす。もとより彼女の柔軟さには及びもつかないが、気持ちだけはその気になって3、4回大きく深呼吸する。
 気分爽快である。
 幸せとは案外身近であることに気付く。新聞の投句川柳の次の句に、にんまり。
 ばあちゃんも時々やってるイナバウアー”
        (満)

 216「一雨ごとに春めいて…」

 2月はほかの月に比べたった2、3日少ないだけなのにあわただしく逃げていく。しかもその2月は天気までもあわただしく、急に5月頃の暖かい陽気になるかと思えば忽ち真冬に逆戻りして、余計に寒さをあおる。
 そのためか庭の梅の花は咲こうか、いやまだ早いのかと模様を眺め去年より2週間も遅く咲き始めた。
 花蜜を求めメジロが訪ねてきたが、あまりにも少ない開花に頭を傾げ思案顔に「これじゃー腹の足しにもならん」と飛び去っていった。
 この冬の長期予報は暖冬ということで気をゆるめていたが、北国の大雪を始め、こちらも暮れの12月からひどい冷え込みで当てが外れた。
 弥生3月に入ってなお寒・暖繰り返しているが、もうしめたもの、一雨ごとに春めいていくことは確かである。
 桜前線の予報も既にあり、今年は開花の時期が早目のようである。
 この分では花の命の長い梅と桜の花が重なって観賞できるかもしれない。
 ともあれ自然の木々は気象異変にも忍耐強く順応し、季節ごとの役割を果たしていることにひたすら感服する。
 先だって象頭山の台地の大藪を刈り取った跡地に植樹。サクラ、クヌギ、モクレン、モミジの高木に、ツツジ、アジサイ、レンギョウの低木など。
 多人数の奉仕作業で、植えた木にはそれぞれ自分の名前の木札を立て、これから折々成長を見守るようにとのこと。
 ひと汗かいて眼下に広がる遠近の市街を眺望し、さらに薯粥のご馳走で自然を賞味する。これらの木々が幾年の風雪を経て、四季を彩る見頃になるまでは、遠い遠い先のこと。その頃はいない筈、動ける年寄りはそれでええの。  (満)

 215「冬季オリンピック&ゴロ寝」

 去る10日から始まった冬季オリンピックとつきあい昼間はゴロ寝を上手にしている。
 競技会場がイタリアの古都トリノ、日本との時差8時間の位置にあり、あちらが昼間のときはこちらは総じて夜になる。
 テレビは昼夜を通じて放映、観戦と応援はついつい夜更かしを通りこして暁に及ぶ。
 このため昼間は勝手気ままに上手なゴロ寝で夜に備えている次第。
 冬のオリンピックは雪と氷の上で、動・静・美の競演、実に多種多彩でなかには何を競うのかわからんものさえある。
 スキーとスケート、この二つの用具を基にした競技が発展し、今日の7競技84種目までの多くに達したものであろう。
 我が国のスキー(航空も)の先駆者「長岡外史」は郷土周防の出身。
 高田第13師団長(1910〈明治43〉年)のとき西欧のスキー文明を初めて活用し広く民間にもその普及を図る。
 今日ほとんどの種目に出場できる日本の歩みに、ほぼ1世紀前、郷土先覚者の努力もあるのかと思いを馳せる。
 さて日本勢の競技状況は世界の壁は高くさらに強し”の感を抱く。
 今後の飛躍の糧にすべきであろう。
 幸せにもテレビ映像で目を楽しまさせていただいたのは、イタリアの北の国境、アルプス連峰の銀嶺である。
 群青の空に画然と浮かぶその英姿は、威厳と荘厳さをも備えた見事な景観であった。
 17日間のトリノ・オリンピックも後わずか、日本勢の活躍をさらに期待しつつ、アルプスの景勝に名残りを惜しむ。
 次は今年半ばにサッカー・ワールドカップがドイツで開催。
 これまた昼夜の時差、上手なゴロ寝で観戦・応援に万全を期したい。
        (満)

 214「天網恢恢、疎而不レ失」

 既に旧聞に属するが今年のお年玉年賀の当たり番号は、やはり4等のみでしかもわずか。
 それだけに差し出しの先様には感謝の意を表し、もう一度その賀状を手にして拝読する。
 遠くに住む旧い友人からの賀状も当たり番号の1枚であった。
 朱肉の「賀正」の判こに続く肉太の万年筆の文字はいつもの体裁、少し違うのは世をはかなむ次の添え書きであった。「健やかに希望が多い年でありますようにお祈りします−−とはいいながら政界も経済界も詐りの横行で希望はありません」
 詐りの横行といえば詐欺、詐取、詐称などいわゆる「いつわりあざむく、人をだまして不法な利益を得る、氏名、職業などをいつわる」などのことであろう。
 これらの横行は彼のいう政財界を問わず今や日常茶飯事の如くに蔓延、頻発し、ややもすると被害者側の手落ちを非難される風潮すらある昨今。
 腹立たしさとともに如何に防御するかの体、世をはかなむ彼の思いに同感である。
 さらに加えて去年暮れから今年に入り偽りの国内を蹂躪する様相は、目にし耳にするも憚る不祥事といわざるを得ない。
 偽装耐震構造、偽装偽計取引、偽装改造工事の疑惑は次から次に発覚し、被害者は震撼の不安と憤怒、これまたやり場のない怒りを覚える。
 その上捏造の疑惑も浮上、隣国ならず国内最高の学府における学術研究の捏造は恥辱の最たるもので全くけしからん。
 詐欺、偽装、捏造といういまわしい所業は、恥をしらず、他人の痛みをかえりみない卑劣な行為。天網恢恢疎にして漏らさず≠キなわち天道は厳正に悪事を退治すること必定、平穏な世の中こそ大事である。  (満)

 213「ヒテーでもナゴーに」

 新年のカレンダーは表紙をめくると清清しい風景の写真で今年が始まる。
 目につく居間に掛けてあるが、それを見惚れる間もなく1月のページはあとわずかでおわる。
 日の短いせいもあるが1月は往く、2月は逃げる…”などと年始めの日々はたちまち過ぎてゆく。
 今年は戌年、諺には申酉荒れて戌あがる≠るいは――戌に凪ぐ”など総じて穏やかで温い年といわれている。
 申年の一昨年は早くから台風が次々に日本列島に上陸し山野の木の実は実らず鳥獣は餌の飢饉に瀕す。このため人里に熊・猪・鹿の出没しきりであった。さらに酉年の去年は世界の各地で地震、津波、ハリケーン、洪水など地球慟哭の如き災害年、県内も錦川の氾濫で甚大な被害をもたらした。
 さて戌年の今年はというと既に東北、北陸とりわけ日本海側の地方は希にみる豪雪で、多くの死傷者とともに交通遮断の孤立地域も生じている。
 これに対しここ山口地方は年明けとともに旧冬の厳しい寒気はゆるみ、元旦は雲一点もない青空の快晴で迎える。
 その後気温もゆるみ寒暖、雪も雨もあるが北国のような厳しさはなく、まずは平穏な推移に有難く感謝。
 去る1週間前、同年の新年宴会、旧冬忘年会のメンバーである。
 ところがメンバーの友ひとりその忘年会の翌朝、忽然と他界したことを知らされる。しばし友を偲び黙祷し冥福を祈る新年の宴。
 いつ逝っても早からず遅からずという互いの年代、これからは再々逢う機会をつくろうぜと語り合う。
 「ヒテー(一日)でもナゴー(長く)に生きちょこーでの」と元気な御仁の呼びかけに友友、共鳴の笑声で散会。      (満)

 211「1年がアッという間」

 年毎に歳のせいか1年の経つのがアッという間である。
 「ハァ 今年も暮れになりましたのー」12月に入り、とりわけ年寄りの挨拶は異口同音である。
 過ぎていく年を惜しむという心情でもなし、新しい年を迎える喜びもさらにない。どうやら年を越すとまた一つ歳をとるので、それだけ先が短くなってくるというのが本音のようである。そのくせ「こねェー長ごうに生きちょってもエエじゃろうかい」心にもない殊勝な考えを持つのは大抵年の暮れだけで、あとは都合のいい季節を追いかけているようなもの。
 寒さが長いと「早ように暖かい春が来るといい」
 暑くなると今度は「少しは涼しゅうならんかのー」と文句をいいながら明日、明後日さらに明々後日までも天気を思い煩う。だから1年の月日が忽ち経つのも道理であろう。
 暮れには早いうちから「喪中の年始欠礼」の葉書が、これまた年とともに多くなってきた。
 差出人が年賀交換の当人であれば既に喪中のことを承知していたり耳にしている場合が多い。
 ところが近年、身につまされる便りが増えてきた。知らない差出人でしかも女の名前「こりゃー何方かのー」と呟きながら訝しく文面に目を移すと「今年の○月夫○○が……」と旧知友人の名前が飛び込む、ガツンと頭を打たれたような衝撃にあう。遠くに住む長い友人で今年も1度は電話で元気な声を交わした御仁である。
 このような便りが、なんと遠近11通にも及び、急冷寒気の来襲と暗い雪雲の年の暮れ、ひときわ身にも心にもこたえる。
 今年もあと1週間、寒さ、暑さが記録的、そして世相暗澹の目立つこの1年、明るい夢を来年に託す。 
        (満)

 212「お雑煮」

 正月になったがいつもの2人暮らしの家族では、格別かわり映えはない。
 元日から雑煮を毎朝食べているのが正月気分を味わう唯一である。
 それでも七草がゆの頃まで続くと、もともと餅が好きでない女房は、作るのは簡単だからいいが、食べるのは少々飽きている。それに比べ餅が好物の我が輩はいくら続いても平気である。
 自慢ではないが家の雑煮は美味い。関東・関西風の混ざったもので、一口にいうと、ゴテゴテしないさっぱり味である。
 餅はこの地方だから丸餅、有難いことにもう何十年と友達の杵搗き餅をいただいている。
 雑煮の具はカブ、ニンジン、シイタケ、鳥肉、カマボコ、三つ葉。汁はすましで塩・醤油少々。これらが煮立った鍋に、火に炙った餅がふくらんで薄く焦げ目のついたものを次々に入れて蓋をする。ひと呼吸すれば出来上がりである。
 湯気の立つお椀の餅は固からず柔らかからず、焦げの香ばしい匂いと一緒に口に入れると、これまた何十年も続く正月の味である。
 「お雑煮100選」という本に、雑煮は餅とその土地の産物をひとつ鍋で煮たもので、地域性が強くさらに家々によって受け継がれている日本の伝統ある正月の食べものとある。
 丸餅・角餅文化圏は関ケ原の前線がほぼ堺に東が角、西が丸となっているが、その由来は定かでない。
 汁文化圏は、京都を中心に近畿地方を少し広がった圏域が味そ、その他東西すまし圏域が広い。
 餅を焼く、煮る文化圏は、地域性が明らかでなく総じて半々、関東以北と九州の一部に焼き餅があり、我が家も餅焼き文化。雑煮もすでに鏡餅の切れ端で、おかまいなく正月はゆく。    (満)

 211「1年がアッという間」

 年毎に歳のせいか1年の経つのがアッという間である。
 「ハァ 今年も暮れになりましたのー」12月に入り、とりわけ年寄りの挨拶は異口同音である。
 過ぎていく年を惜しむという心情でもなし、新しい年を迎える喜びもさらにない。どうやら年を越すとまた一つ歳をとるので、それだけ先が短くなってくるというのが本音のようである。そのくせ「こねェー長ごうに生きちょってもエエじゃろうかい」心にもない殊勝な考えを持つのは大抵年の暮れだけで、あとは都合のいい季節を追いかけているようなもの。
 寒さが長いと「早ように暖かい春が来るといい」
 暑くなると今度は「少しは涼しゅうならんかのー」と文句をいいながら明日、明後日さらに明々後日までも天気を思い煩う。だから1年の月日が忽ち経つのも道理であろう。
 暮れには早いうちから「喪中の年始欠礼」の葉書が、これまた年とともに多くなってきた。
 差出人が年賀交換の当人であれば既に喪中のことを承知していたり耳にしている場合が多い。
 ところが近年、身につまされる便りが増えてきた。知らない差出人でしかも女の名前「こりゃー何方かのー」と呟きながら訝しく文面に目を移すと「今年の○月夫○○が……」と旧知友人の名前が飛び込む、ガツンと頭を打たれたような衝撃にあう。遠くに住む長い友人で今年も1度は電話で元気な声を交わした御仁である。
 このような便りが、なんと遠近11通にも及び、急冷寒気の来襲と暗い雪雲の年の暮れ、ひときわ身にも心にもこたえる。
 今年もあと1週間、寒さ、暑さが記録的、そして世相暗澹の目立つこの1年、明るい夢を来年に託す。 
        (満)