ニュース/イベント/施設情報/観光/映画/子育て/ 漫語満語/山口周辺/聞かせて/
キラッ/札の辻・21/おんなの目/ご意見・ご質問/バックナンバー
ホーム漫語満語>221〜230

 230「秋、2題」

 昼下がり2階の窓から鱗雲の秋空をぼゃーと眺めていると、軒先からゆっくりと蜘蛛のようにすーと何か下りている。じーと目を凝らしてみると枯葉にくるまった蓑虫である。さて、何でこの虫が屋根からぶら下がる用事があるのだろうか?
 いろいろ調べたり尋ねてみたがよくわからん。「風に飛ばされたのでは」という話もあった。
 お蔭でわかったのは蓑虫の生態、雌雄著しく別々の生涯である。雌は脚がなく羽化せず成虫後も一生蓑の中で生活、一方雄は蓑の中で蛹になり成虫は蛾になって外に羽ばたくということ。
 2階の屋根からぶら下がった蓑虫は雌で、生涯に一度秋の日を浴びてのんびり気晴らしの行楽ではなかったかと私は思う。虫達にもささやかな楽しみを神は授けたに違いない、道理でその日の午後は格別に爽やかな秋日和であった。
 次は仲秋の名月、去る6日象頭山の山頂で月見の小宴。
 あいにく台風17号の余波で風は強く曇り空、雨が降らなければということで、午後7時過ぎ懐中電灯の明かりで暗闇の山道を登る、頂上まで約10分。既に先着組は闇夜の草原にビニールを敷いて宴の最中。眼下に見える山口市街はやや暗く、大内側は正面の街道を行き交う自動車のライトで明るい。空は360度広々とみえるものの、肝心の仲秋の名月は疾風に流れる曇り雲の合間、合間に垣間みえる有様。持ち寄った缶ビール、酒、だんご、さらに仁保川の魚料理もあり滋味上々なれど、山頂に吹く風いよいよ強くしかも肌寒くなって早々に下山。
 明けて7日十六夜の月からは雲一点もなく煌煌の月夜が続く。
 秋の日は昼もよし夜もまたよし、でも今年は短い秋のような気がする。(満)

 229「田圃、畑が消えてゆく」

 横になり縦になり冷房と扇風機で長く厳しい暑さを凌いできたこの夏、9月中半に入って漸くどすんと秋の気配がやってきた。
 久し振りに共同菜園の畠を覗いてみると、我が家の畝だけが生き生き茫茫、腰高までの夏草が生い茂っている。
 隣の畝はいつも整然と手入れがされており、随分と迷惑をかけている。
 長いほったらかしは、この夏の暑さのせいと年相応の気軽な畠作を楽しんでいるからである。
 目下の作物は根菜の玉葱とじゃが芋が専門でしかも一毛作、従って小まめに足を運ぶ用はない。
 小作人中まさに劣等生を自認しながら時おりの土弄りで自然に親しむなまけものである。
 さて私の住む大内地区はいま新興地域として、商業、福祉・医療等サービス業、飲食・娯楽・遊興などなど大小の施設、店舗が幹線道路ぞいに連なり、なお建設途上のものも見かけられる。
 一方住宅は戸建、アパートなど平地から山裾まで密集し、これまた建築が方々で進行中。
 かつての広々とした田圃や畑は建物や住宅の狭間に点在する風景に様変わりしてきた。
 なんだか無分別のようにみえる新興、都市化への移向に一抹の不安と淋しさを覚える。余計者の戯れ言であろうか?「国家の品格」の著者・藤原正彦氏は、品格ある指標の一つに「美しい田園」をあげている。
 「美しい田園が保たれていることは金銭至上主義に冒されない美しい情緒がその国に存在する証拠」と述べている。国を地域におきかえ、美しい田園を身近な田圃や畑におきかえる。
 その田圃や畑が次次に消えてゆく新興、都市化への移向は、はたして後顧の憂いなきかどうか、皆で考えてみたい。
        (満)

 228「すいきんちかもく、どってんかいめい」

 呪文のような表題は太陽から順に並ぶ惑星の名前を暗記するために唱えたもの。小学校の理科の時間で習ったものであろうか。
 去る8月24日チェコ・プラハで国際天文学連合の総会において太陽系の惑星9個のうち一つを外し、8個とすることに賛成多数で決まった。
 仲間外れにされた星は呪文の最後尾「めい」にあたる冥王星である。
 この星は他の惑星に比べてごく小さく、公転の軌道は傾いている。さらに類似する星もほかにあるなどの理由。
 惑星の数が減ろうが増えようが、庶民の日常生活に差し障りはない。
 にもかかわらずマスコミは天上天下一大事の如く、大きくしかも詳細に報道。お陰で遥か天空の星の序列に人間共の理屈はわからぬでもなし。冥王星の発見(誕生)は1930(昭和5)年で、惑星のうちでもっとも若い。これまで70有余年、特段の不始末もなく居並ぶ天体の王者、太陽系惑星とともに周遊してきた。
 今回理由はともかく惑星からの降格は冥王星にとってさぞ無念な思いであろう。
 8月の下旬、夏の夕立ならぬ昼夜ときをかまわず大降りの俄雨、併せて天地を揺るがす落雷が日本列島を駆け巡る。さらにアメリカ宇宙衛星基地にも特大の落雷で衛星打ち上げを延期。
 異常なあの雷雨はひょっとして冥王星の惑星格下げに対する憂さ晴らしではなかっただろうか。
 ともあれ人間の勝手な都合で惑星の数をあれこれしたものの、夜空に瞬く星の模様に変わりはない。
 日毎夜空に星の輝く秋が近づいて来た。
 惑星の呪文は、これから水金地火木、土天海でこれに続く冥がなくなり少し拍子抜けの感である。   (満)

 227「昭和でいうと81年の夏」

  今年は昭和でいうと81年である。平成になって18年にもなるのに昭和何年と数えなければ歳月のたちかたがどうもよくわからん。
 作家田辺聖子さんも同じような思いでそれらの者について次のように書かれていた。
 「こうゆう輩を昭和党というが特に政治的立場や思想信条があるわけではない。適当に左であり、ほどよき度合いに右でもある。それは過ぎ来し時代の流れのせいである。世はうつり人はかわるということだ」私如きもまずはその類いである。
 昭和党の者達にとって毎年夏8月は熱い思いの蘇るときである。
 今年はあれから61年目、当時は純情可憐な少・青年期、広島、長崎に原爆投下、といってもその時はどんなものかもわからず、どえらい爆弾ピカドンが落とされ街は壊滅という風評。そして長い戦争が漸く終結した。それから衣食住の更なる窮乏と、どんでん返しの世の中の仕組み。
 虚脱と混乱と耐乏の中で日本人は営々と努力して今日に至る。
 今日本は半世紀を越え有史以来の長い平和国家を持続し目指している。
 この夏はさきの戦争とそれに関連する様々な論議が交わされている。それは大いに結構、大切なことは歴史認識を共有することであろう。
 戦争と平和を揶揄した『悪魔の辞典』によれば
 戦争=如何に愚劣な行為であるか世の人々を説得するために行われる。その説得は持続的にくり返し行わなければならない。
 平和=国際関係において戦争の時期の間に介在する騙し合いの時期を指す。
 人間の愚かさ狡猾さは本性ということか?
 暑夏8月もあと僅か、台風10号は大雨を連れ牛歩で通過、庭のつくつくぼうしが晩夏を告げる。   (満)

 226「丙戌盛夏の炎暑」

 大雨と洪水で大層荒れた今年の梅雨は平年より入りは早く、明けは近年になく長尻であった。その所為か夏を取り返すかのように梅雨明けから真夏日の太陽が炎炎と照りつける。
 こねぇー暑いとちょっと動くだけで汗びっしょりになる、まして日向に出ると頭の鉢は煮えくり返る、手の甲も腕も日焼けして焦げそうである。
 年々夏の暑さに限らず四季を通じて地球温暖化の傾向が高まり心配である。
 このまま推移すると日本は亜熱帯地域に仲間入りするのではなかろうか。そうなれば日本固有の四季の自然の麗しさ、そして心の和みも失うことになるのでは。
 “むかしむかしお爺さんは山に柴刈りに、お婆さんは川に洗濯にいきました…”子供の頃の田舎ではこのような風景がありました。
 わずか半世紀そこらまえ、お爺さんお婆さんは増えてきましたが、今はみる影もありません。
 近代化・高度化あるいは文化的という名のもとに、例えば夏冬の冷暖房設備があまねく普及してきた。それらが自然に対する人間の傲慢な挑戦であることが、地球温暖化という報復で漸く認識することになった今日である。
 この炎暑、傲慢な共犯者なれど家の中で冷房と扇風機に当たり、できるだけじぃーとしてこの夏を凌ぐ。
 我が家の冷房設備は1階の居間と2階の一部屋のみ、あとは外気の風まかせ、または扇風機を移動して空気を掻き混ぜている。
 日々必ず出向く用足しのトイレは家中で最も暑いところ。
 女房は思案一考し団扇の柄に長い紐をつけてタオル掛けに吊るしている。
 扇げば芳しく風そよぐ盛夏。     (満)

 225「とうとう酸素まで…」

 酸素の缶詰がコンビニで売り出されている。
 ボトルに入れたお茶や水に次いでとうとう酸素まで買う時代がやって来た。その効能はストレスの解消とリフレッシュだそうである。
 売り出しは大都市のゴミゴミして空気の汚れがひどく、コセコセしてストレスの溜まるところだろうと思っていた。ところが山紫水明、緑多いこの山口でも既にコンビニの店頭に並んでいることに驚く。
 ストレスと戦う現代人の吸うサプリメント”というキャッチフレーズ。
 店内の壁一面の棚を占めるお茶・ミネラルウオーターのような大量商品には至っていない。店によりそれぞれ適当な場所に未だ僅かにおいてある。
 スプレー缶の形で大きさは殺虫剤のキンチョールとか消臭剤のようなもの。ノズルから出る酸素を吸い込む仕掛けで、2秒の噴出を35回繰り返すことができるとのこと。
 眠い朝、ドライブ、イライラ、勉強中あるいはパソコン、残業、デスクワーク等に一服、なんだかタバコのようなものか。
 それにしても精神的抑圧を解消するに、あるいはまた元気回復に平常の呼吸にさらに酸素を補充しなければならないとすれば、地球上の人類の生息環境が徐々に壊されている証しのような気もしてくる。一方今日の手間暇を省き安易に気分転換や爽快さを求める時流の産物のひとつでもあろう。
 喜ぶべきか悲しむべきか人間の知恵と欲望は逞しく果てしない。
 いずれにせよ働く現代人のもの、終日ぶらぶらしている私には勿体ないしろものである。
 鬱陶しく腰の重い今年の梅雨、それでも合間に庭を飛び交う精霊蜻蛉で気は晴れる。
        (満)

 224「余所の枇杷の木」

 近くに住む友人つかチャンから枇杷の実をもらった。赤黄色によく熟れた2・3房早速その日の夕食後、等分にして女房と食べる。
 店に並んでいる程立派ではなく、野生のものだから味もあまり期待をしていなかった。
 ところが完熟した実の皮は易しく剥けて芳醇な香り、果肉を噛むと甘酸っぱい奨液が口中に広がる。思わず「こりゃァー旨い」と声をあげて賞味する。
 前々にこの枇杷の木と彼の馴れ初めからその後の経緯を面白く聞いていた。この枇杷の木は彼が借りている野菜畠の側の山裾にポツンと立つ高さ3、4メートルの高木、持ち主は畠とは違う余所の家。
 年々花も実もつけるが野放しのまま。彼は子供の頃の古里の枇杷を思い出し一念発起、先ずは果実の房に袋掛けを試みる。
 始めは手製で週刊誌の紙袋、風雨に晒され破れ飛んで無惨に失敗。
 今年は果実栽培専用の袋を求め念入りに袋掛けそしてゆっくりと完熟をまつ。漸くにして少しずつ収穫に及び、ご近所や私方まで有難くお裾分けに与った次第。
 この分ならおいおいの収穫とその余慶にも胸弾ませていたやさき彼からの悲報「残りの枇杷が全部盗られたァー」と、なんとも非情な所業にただただ憤怒やるかたなし。
 彼とは同じ職場のOB、スポーツマンでこよなく酒を愛すること日々怠らず、真情童心の如きをもって今日に至る昭和一桁の益荒男である。目下彼は飄飄として近くの道路や川土手、河川公園などの草刈りに汗を流し、また畠作りや、余所の枇杷の木にも執心。
 愛称つかチャンの名は「尹」辞書ではインの音読のみ、意味は人の長・司とある。
 気高き名に彼は泰然自若、快男児。
        (満)

 223「あれから4年W杯」

 2002(平成14)年日韓共催のサッカーW杯は、世界市民の熱狂的な声援に驚くとともに、日本勢の活躍、世界強豪の迫力と妙技に魅せられた。
 あれから4年、スポーツのテレビ観戦もサッカー競技に注目することが多くなってきた。
 サッカーを蹴球と呼んでいた世代、とりわけスポーツ音痴の女房も新聞のテレビ欄のサッカー競技に赤鉛筆で印をつけるほどのご執心。
 いよいよ開幕したドイツW杯は以前にも増して一喜一憂の関心をもつ。日本勢は3年連続の出場を果たしたジーコジャパンに大きく期待。されど籤運による枠組チームに前回王者のブラジルを含む強豪揃いで、まずはいささか心配であった。
 初戦は既にオーストラリアによもやの後半の失点。続くクロアチア戦はドローゲーム。
 崖っぷちに立つ日本勢に王者ブラジル戦はまさに天運を待つほかはなかった。とにかくも強豪を相手に日本選手の闘魂にひたすら拍手。
 去る10日付朝日新聞、世界の人々の熱気に沸くW杯に国連アナン事務総長は「私はW杯が羨ましい」とメッセージ。
 その内容を要約すると『第1は人気、誰もが知る競い合い、国連も人権という競技を行いたい、例えば幼児死亡率の低下競技、教育を受けられる子ども数の競技など。第2は話題性、国連もW杯くらい世界中に話題になって欲しい。例えば人間開発指数や排ガス規制、エイズ問題など、どれだけ熱心に取り組んでいるかホットな話題に。
 第3は平等な参加の機会。第4は人種間、国家間の多様な交流。そして最も羨ましいのが到達すべき目標、なにもゴールだけではない共通の人間性を称える場であること』
 しみじみと共感を覚える。     (満)

 222「衣替えと季節の移り」

 夏への衣替えは6月からということで、2年目になるクール・ビズの装いは一段と賑やかにニュース放映されていた。
 今年は春からときには汗ばむ夏日があったり、あるいはまた冬へ逆戻りの寒さになったりで、日毎着るものに戸惑う季節の移りであった。
 どうやら今度は夏へ向かう本物のようで、これから蒸し暑い梅雨を越え、そして炎天の夏を迎える。
 少し昔、日本の季節はほぼ暦どおりの移行で、衣替えに戸惑うことはあまりなかった。
 冬は綿入れの袖無しか丹前を重ね着、春は袷、夏は浴衣(木綿の単衣)秋は春と同じでまた冬に向かうという衣替え。もっとも着るものは今ほど豊富ではないが、季節の移りは几帳面であった。今年の冬から春そして夏への移りは、丹前から袷を着る間は殆どなくいきなり浴衣に着替えるような変わりようである。
 地球のこのような気象の変調は高度な文明社会を創るという傲慢な人間の仕業で、自然と共に生きる存在をもっと真剣に考えなければなるまい。
 家には自然と共生といえば大げさであるが、何処にもいる蛇と同棲。夏近くなると庭をうろつくが冬は何処かで眠っている。倉庫の天井の梁から脱け殻がぶら下がっておりしかも二つぐらい。
 暑い天気の昼下がり、買い物から帰ってきた女房が大声で玄関に飛び込む。「蛇がいるー」とおろおろ顔。茶褐色のシマヘビが門柱の間の鉄柵に登っている。柵も茶色で蛇と同色、引き戸の柵を動かすと、長いものがにょろにょろ動き出す。
 蛇はやおら身をくねらせて滑るように柵のそばの木にうつり、垣根の葉蔭に隠れた。あれから数日後玄関を跨いだ庭で見掛けた。
 巳年生まれの女房、蛇に似ることもなく寸胴である。   (満)

 221「久々大相撲観戦に力む」

 豊真将が新入幕 山口県出身35年振り”
 スピード出世に驚き地元下関でも大喜びの声”
 大相撲夏場所、新番付発表が先月24日、翌日各紙のスポーツ、地方版の見出しは郷土にとって朗報の活字が躍る。
 35年振りといえば元大関魁傑のことであろう。
 今日では放駒親方、日本相撲協会理事、審判部長として活躍中である。
 また初土俵から13場所目の早い新入幕は、これまでタイ記録の力士に旭富士、貴花田、武蔵丸という元横綱の大先輩と同列の歴代9位タイである。
 開幕は今月7日、豊真将初戦の相手は怪物いよいよ登場”の見出しでさわがれ同じく新入幕の杷瑠都、バルト海に面して位置するエストニア出身、先場所十両で43年振りに全勝優勝を果たしたというまさに怪物力士。
 残念ながら力負けで黒星、しかしその後は堂々の取り組みで、一時は6勝4敗の白星先行もあった。
 常に頭を低く下げ前に出る相撲、総じて長丁場で手に汗を握る。
 大相撲のテレビ観戦の見頃は客席も詰まってくる午後4時過ぎからであろう。
 幕内力士が化粧回しで土俵のぐるりに勢揃い、軽く柏手を打ち、回しをチョコンと上げてまた軽く万歳。これからが一番一番の力強い取り組みである。
 「豊真将、錣山部屋、山口県出身」朗朗とマイク放送による紹介は一日2回、化粧回し勢揃いの土俵入りと、取り組み呼び出しの際である。なんだか身内のものが呼ばれたようで、力みが入る。
 土俵の豊真将は礼の姿勢、勝ち名乗りの手刀などその真面目さに大きい魅力。入幕初場所の成績先ずは立派、いよいよの大成を祈る。                (満)