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キラッ/札の辻・21/おんなの目/ご意見・ご質問/バックナンバー
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 250「当たりまえのこと」

 夏日の朝一際喧しく「ワァーシャ・ワシ・ワシ・ワシ…」と庭の木から鳴きたてるクマゼミの声、いささか驚くとともに、とおーい子供の頃を思い出す懐かしい鳴き声でもあった。
 夏休みのセミ捕りで、クマゼミだけは手にすることが難中の難事。彼等はいる場所は里山のクヌギ、センダンなど大木、しかも幹の高いところにとまって、泰然として音吐朗朗の吟詠。
 子供の背丈では到底及ばず、竿のセミ捕りさえとどかない。体は大きくつややかな黒光、羽根は緑がかって透明、貫禄と気品を備え子供心に憧れのセミ。私の田舎では鳴き声から、ワシ・ワシと呼んでいた。そのセミが庭のコブシに飛んできて、昔のまま堂々の鳴き声に童心蘇る。ワシ・ワシはワシ・ワシだから当たりまえに鳴きたてているだけだろう。
 さて、当たりまえといえば、先だってある女史からの話。20日余の入院治療で受けた看護に感動。その病棟のすべての看護師が一様に親切、言葉づかい、人当たり心づかい。
 日々あまりの親切さに、「皆さんはどうしてこんなにまでも」と尋ねる。「私達は当たりまえのことをしているだけです」
 老女史いよいよ感銘、市内老舗の某病院での麗しき話。
 当たりまえであることは本来当然のことに過ぎない。その当たりまえを賛美することは、当たりまえでないことが横行する情けないご時世、ということか。      (満)

 249「時 流」

 情報化社会というにIT機器の操作は駄目、 いわゆる時流に落ちこぼれの老いぼれである。
 しかしこれまでの新聞・テレビ、郵便・電話の暮らしで格別不便はない。
 先だって奇麗な声の女性から電話、インターネットのメールのやり取りのことか、新しい情報機器の紹介か延々独演でチンプンカンプン、ようやく一区切りして「如何がでしょうか」ときた。
 「パソコンもインターネット まるで駄目…」 というと 「アーラそうですか」呆れたような声色で、即ガチャン、ツー。
 この手の場合落ちこぼれゆえに早く済みさっぱりする。
 いま一つは郵便で「人事名鑑申し込み」の封書が親展で届く。5、6年前2、3通届いた会社こそ違うものの内容はほぼ同じで高額なもの。
 その中に「掲載目次見本」のコピーが同封。
 念のため以前のものと見比べれば全く寸分違わず同一、時流遅れの悪質商法を露呈し安心放置。
 最近は詐欺師も時流に敏感で、その対応に注意の新聞報道。
 預金の口座番号を聞き出すのに、年金記録が判明し追加振り込みをするのでとか、貴方はやがて始まる裁判員に選ばれたので、などの詐欺電話。
 またテレビのデジタル化に伴うアンテナ、ケーブル工事、電圧検査など詐欺行為の横行とか。
 時流に落ちこぼれは負け犬の類であるが、乗り過ぎても落とし穴に要注意の時世。          (満)

 248「ヤモリの季節」

 夕闇迫りガラス越しの明かりが外に洩れるころ、今年もまたうちのヤモリが三三五五出歩いている。これまで何処にいたのか?
 ものの本によると天井裏や床下、壁の隙間などで冬からしばらくを過ごすとあった。
 何時から我が家を棲み処にしたかは別にして、家のヤモリであることに間違いない。至ってもの静かな御仁で足音、鳴き声ひそとして耳にすることはない。さらに出歩きも灯に集まる蛾、蝶など昆虫を捕食するときで、場所と時間が限定される。同じ家にいながら逢う機会は少ない、でもよくみると可愛い仕種で心強い同居者でもある。
 ヤモリはトカゲ、イモリと似て非なるは、民家を生息場所としていることから「守宮」「屋守」の漢字をあて?家の番人?ともいわれている。
 体色は灰褐色、楓のような手、足の腹は吸盤状で壁や天井、窓ガラスなどを静謐自在に行動する様は一見忍者の如し。また捕食は灯に近づく昆虫をひたすらじーっと待つ忍耐と辛抱強さ。
 しかも捕獲圏内に入ると敏捷な行動で100%獲りこぼしなし。さらに自分の頭より大きい獲物にも飛びかかってほおばる獰猛さ、あて字に「壁虎」とあるのもその故であろう。
 家では玄関わきの壁にある外灯付近が彼等薄暮からの散策場所。
 認知症気味の爺婆、
頼もしきヤモリとの同居にせめて夕暮れからの外灯の点灯を忘れず、餌寄せの手子を。         (満)

 247「梅雨入り」

 待ち侘びた梅雨入りはしたものの降る雨の量や日にちは至って不十分である。われ等ナメクジは1年のうち、もっとも活動的で生き生きする唯一の時期が梅雨である。
 あのしとしと降り続く梅雨の雨、昼なお薄暗く鬱陶しい蒸し暑さ、そのような環境こそわれ等は快適、本来夜行性ながら日中も出歩き老木の木肌を舐め新芽を漁っている。その梅雨が今年は名ばかりで開店休業の模様、全く住みづらい。このような現象は傍らに住む人間どもの所業で、地球温暖化をもたらしその遠因らしい。
 さてわれ等の寝起きの場所は、この家の居間の窓際、植木鉢の底、また軒下の石ころの下などである。したがって住人の行動や話声、テレビなど手にとるようにわかる。
 家の2人は日中ぶらぶら、食事だけは3度3度きちっと食べているから年金生活者である。
 大分年寄りでほぼ先がみえているので今話題の年金問題を云云することはないだろう。
 このところ人間どもの世間は相当に荒れ模様。
 家族の子や親、また妻が夫を殺害するなど凄惨な事件が続発。
 コムスン、NOVAとか大規模企業が悪徳商法らしく世間を騒がしている。年金問題は過去の加入記録などのずさんさで大騒動。
 真善美の園を理想とする人間に対する大きい警鐘と心えられたし。
 ともあれ、われ等ナメクジの死活問題は雨と湿気、雨の降らない夕方は植木鉢や庭に必ず水撒きを。努努お忘れなきよう。            (満)

 246「梅雨を待つ」

 半袖なら寒いし長袖なら暑い気がする。どっちにするか毎朝寝巻きからの着替えに思案する。5月末突然夏日の暑さになり、俄に夏着を引っ張り出すやらストーブと扇風機を入れ替えるなどテンヤワンヤ。 ところが6月に入ると気温は下がり、朝方の着替えに戸惑う始末。
 先だってこの夏の長期予報では「相当に暑くなるだろう」とのこと。
 そしてこれまでの暑さ区分の「夏日」25度以上「真夏日」30度以上をさらに「猛暑日」35度以上を設け、暑さ予防に備えるようとのこと。猛暑日と聞くだけで激しい暑さを想像するが一体どんな手筈をすれば凌げるのか、大変心配である。
 とはいえ先ず梅雨入りがあり暑さはそのさきのこと。
 今年は冬から春にかけて平年より極端に少雨、既にこの時期ところでは水不足の状況もある。
 この程タマネギを収穫、見栄えはいつもとかわりないが、一枚一枚の果肉が薄く水分が少ない。成熟の過程で雨の少なかったせいである。
もっとも干天に水やりもしない怠惰な畠作人のせいもある。
 日当たりの軒下では蟻の行列が延々とどこかを目指している。
 近くのイブキの木陰では十薬草が雨を待ちきれずに白い十字の花を開き始めてきた。
 これまで蒸し暑く鬱陶しい梅雨は嫌な時期の一つであったが、今年はなんだか梅雨の雨を待ち遠しく思ったりする。     (満)
 245「鯉のぼり」
 「だれが一体考え出したものじゃろうかー…」5月の風と白い雲の流れる青空に、真鯉と緋鯉が悠然と泳ぐ鯉のぼりを仰ぎみる仲間の呟き。
 そういえば水に棲む鯉を空に泳がせる思い付きは、まっこと奇想天外に違いない。
 今では随分昔からの習わしで、かつて男子出生の家々は5月端午の節句に鯉のぼりは当然の風習であった。伝来は中国黄河の上流、竜門の滝の瀬登り、多くの魚の中で鯉のみが登って竜に出世したということから「登竜門」という語も生じたし、男児の出世を願う意味で端午に鯉のぼりをあげる風習が伝来して既に永い。
 世は遷り人変わり、男女同権が当たり前になって、男児だけを高々と祝う各戸の鯉のぼりは稀な風景になってきた。変わって各戸に眠る鯉のぼりを呼び集め、故郷の母なる川に長い綱に数多くつるした、橋渡しの風景が見られる。四国四万十川では、河床に沈め、流れに泳ぐ鯉のぼりを橋上からの風物として紹介されていた。
 我が家の近くでは、象頭山の山頂台地に5月端午の季節の風物として鯉のぼり2匹を上げるまでに至って2年目。山頂の風は平地では予想もつかない縦横無尽360度の風向、強風では鯉も全くテンヤワンヤ。再々綱や止め金に絡み付いて手直しに忙しい。
 緑の風爽やに薫る青い空、悠然とあるいは猛猛しく泳ぐ鯉のぼりは、周囲の新緑に映え清々しき限り。                         (満)
 244「遅ればせの衣更え」
 温かったり寒かったりで着るものを厚手や薄手に着たり脱いだりした今年の暖冬もいつの間にか遠ざかり、そして春酣も足早に過ぎ、いよいよ風薫る5月である。万物の生気天地に漲るの季節。
 見渡す山口盆地の連山、照葉樹林の多くが目下衣更えの真っ最中。
 着古した去年の葉っぱを脱いで萌黄色の新芽に着替える。それも日々刻々と深緑色の青葉に染めてゆく。
 中国臥遊録の山水詩、
?春山淡冶にして
    笑うが如く
 夏山蒼翠にして
    滴るが如く
 秋山明浄にして云々?
 とある中で、今年はなんだか笑う春山・滴る夏山が一緒にきたようだ。
 庭の草木も同じ歩調で、とりわけ常緑樹の落ち葉がせわしない。
 それに引き替え、住人二人と家のうちの様子は一向に季節の代わり映えなし。暖房用の電気ストーブは泰然として鎮座、居間に敷く電気カーペットもそのまんま。
 もとより使用の頻度は日々少なくなっている。
 一方衣更えについてはまことにふしだら。
 部屋の衣桁や衣類籠には冬、春、夏の下着から上着が山積みである。長袖、半袖はもとより厚手、薄手の衣類に毛ものまでもある。
 朝方の体感気温でまず身支度、その後日中のお天気、気温次第で着替えの習慣が身についた。
 さて山山にシイの花モク モクと浮かぶ、
我が家は遅ればせながら衣更えの時期到来か。      (満)
 243「まずは昼飯、中也館」
  陽だまり
?亡き人を 恋ほしむこと切なれど まずは昼飯 食わねばならぬ?
萌の会短歌誌主宰河野てるさんの作。だいぶん昔のものと思うがいまなお記憶にある。
 お彼岸の墓参か人間味横溢の詩文が気に入っている。ときにいま天才の詩人中原中也生誕百年記念行事が賑やかである。 生家跡に建つ記念館を中心に盛り沢山の催しものが展開。その中で食べどころカフェ・ド・中也が地元の皆さんの熱意と努力によりオープン。  早速出向き、まずは昼飯にライス・カレー、香味、甘辛ほどよし。
 身満腹にして漫ろ中也記念館に向かう。中也30歳の短い生涯における多様な生活、交友、業績を順序よく展示。おわりの2階から階段を下る半ば踊り場壁面に展示の詩、読み進むうち次第に瞠目させられた。
  四行詩
 おまえはもう静かな部屋に帰るがよい。
 煥発する都会の夜々の燈火を後に、おまえはもう、郊外の道を辿るがよい。そして心の呟きを、ゆっくりと聴くがよい。
 
 この作詩が30歳で亡くなった青年であることに改めて驚きを感じる。後刻中也いつ頃の作かと尋ねれば亡くなる20日余り前とのこと。そうだったのか、でも「この詩はすごいですね」と館長の福田百合子先生に問う。「私は毎日これを読んで、静かに帰っていますいね」。
 なるほど、この歳になって始めてわかる夭折中也の境地。 (満)
 242「暖冬ちゅてゆうても」
 「今度こそ本物の春じゃろう…」とうちで話し合ったのが先週日曜日あたりの日和からである。
 今年の冬から春への誘いは、もの心ついて初めての体験だったようである。冬の入りから予報どおり暖冬の気配で、この分ならば年寄りも凌ぎやすい冬だろうと思っていた。
 ところがこの冬から春への実際の日々の気温は、2・3日ときには1日おきに大きく乱高下し、1・2月中の高い気温のときは3・4月並みに、また3・4月中の高いときは5・6月並み初夏の気温に急上昇する有り様。一方低い気温のときは暦どおりの寒さ・冷たさであるが、日をおかずして逆戻りする寒冷体感はより厳しく感じ、これに順応する日々の身支度はまことに厄介で、しかも骨身にこたえた。
 さきに桜の開花とともに雪や霜の降る極端な花冷えは暖冬異常気象の証であろうが、桜花木にはなんとも気の毒である。
暖冬ちゅうてゆうても、やっぱり寒暖これまでの冬から春がいい。
この程国連の気候変動に関する報告書が報道された。地球の温暖化が社会にどう影響するかを予測したもの。
 2020年には水不足の被害人口数億人、洪水、熱波、人間の感染症の危険性が高まるなどの指摘。人間は自らの営みによって地球の温暖化をもたらし、その要因を診断しながら、これを快復、あるいは現状維持への行動すら足並みが揃っていないていたらく。哀れとゆうもなかなか愚かなり。    (満)
 241 「遊雲君千の風に」
 人生の句読点の一つである卒業式は春3月の恒例の行事である。
 歓びとほろ苦い感傷、淡い希望も入りまじる卒業式、それが読点 なのか句点 であるのか、人それぞれでいろいろ。
 去る10日ある新聞に心温まる卒業式の記事を拝見。見出しの標題は「卒業式亡き友と一緒」そして副題に「名前呼ばれ全員で返事」とあった。
 県の内陸部に位置する周南市立鹿野中学校のことである。
 小児がんにより昨年12月に亡くなった同級生、有國遊雲君と一緒に卒業証書を貰った41人の模様。
 一人ひとり名前を呼ばれ壇上にて校長先生から卒業証書を受け取る。最後に遺影で出席の遊雲君が呼ばれ「ハーイ」と卒業生全員による代返が体育館じゅうにこだまする。
 遊雲君は代わりにお父さんが登壇し証書を受け取り、皆と共に卒業。
 遊雲君は小学6年の9月右足くるぶしの上に腫れ物ができ、これががんでしかも特異なものであった。以来過酷な治療を続け遂に右足を切断する処置にも耐えてきた。それでも明るく、泣き言や愚痴を言うこともなく、「…お母さんありがとう。みんなにもありがとうって言ってね」と感謝の言葉を残して逝く。
 生前親友に打ち明けていた「みんなと一緒に卒業したかった」。
同級生はその思いをみんなで話し合い、この度の卒業式シナリオを提案。学校もこれに応え、温かく、ほのぼのとした卒業式になったものである。
 闘病中彼が故郷を流れる渋川を詠んだ句。
「川が好き 川にうつる 空が好き」名前にも大空の雲と遊ぶ遊雲君、いま「千の風」になって朝夕友達に囁きかけているだろう。 (満)