ニュース/ イベント/ 山口周辺/ 札の辻・21/ 稜線/ おんなの目/ キラッ/
えほんのとびら/ サンデー美術館/ おもしろ小箱/ 施設情報/ 観光/ 子育て/ 映画/
ご意見・ご質問/ バックナンバー/ 広告掲載/ 会社案内

ホームおんなの目>2009年3月

おんなの目

米国務長官の髪型 (2009年3月27日)

 世界に力強い存在感のある女性が増えている。ミシェル・オバマ大統領夫人やヒラリー・クリントン米国務長官、イスラエルのツィピ・リブニ外相など、すぐに思い出せる。彼女達には、国益や宗教などによる考え方に基づく信念がある。その是非については、複雑で私にはよくわからない。が、彼女達の存在はとても魅力的に見える。
 先日、私は、憧れのヒラリー・クリントン米国務長官と同じ髪型にした。あたりまえだが、私と彼女は、月とスッポン、あまりにも違い過ぎる。年齢はさほど違わないのだけれど…髪型ならほぼ同じにできる。長さは顎まで。中心より左よりに分け目のラインを作り、右側に流す。耳を出したショートヘア。同じ髪型になった私が目に力をこめて、美容院の鏡に向かって腕を伸ばし、左人さし指を突き出すと、演説中のヒラリー・クリントン米国務長官になる…。世界の安全も経済も私は語れないけれど、気持ちだけは壮大になった。
 15年前にニューヨークに行った時、空港できびきびと働く逞しい女性整備士を見た。飛行機が飛び立つ時には手を振って送ってくれた。私も振り返しながら、この飛行機は絶対落ちない、と確信した。彼女を信頼できた。次は彼女の髪型にしよう。多分、ポニーテールだったと思う。

梅の古木 (2009年3月20日)

 我が家の横に200坪ばかりの空地があった。そこに2?ばかりの梅の古木が5本あり、真っ白の花を咲かせていた。小鳥も頻繁に飛んできて遊んだり、猫が根元で寝転がっていることもあった。私は、夕方の薄闇の中に、梅の花が白く浮き上がる幽玄な世界を、窓から楽しんでいた。つい、先週までは。
 アパートを建てるために古木は切られたのだ。仕方ない。古木を残しては、建てることはできなかったのだろう。寂しい気持ちはするが、今まで花見ができたことを感謝している。  
 友人のAさんが、梅を見に行こうと私を誘ってくれた。そこは、阿東町の山の中で、周囲に人家はなかった。紅梅や白梅が十数本並んで、いっぱいの花をつけていた。気品ある香りが辺り一面漂っている。Aさんが「ここは、40年前に私の家の畑があった所なの。山奥なので生活できなくなって、転居する時に、祖母が梅の木を植えていったのよ。それがこんなになって…」と言った。Aさんは、毎年ここに花見に来ていると言った。
 梅は切られたり、植えられたりする。梅は街で切られ、山の畑で再生する。誰も知らない山奥で、我が家の横の空地の切られた古木は花を咲かせているかもしれない、5本並んで鳥を遊ばせている…確実だ。

乗っていいよ (2009年3月15日)

 2月の雪の降った翌日、
国道9号線を山口市内から益田まで車で走った。益田に友人の病気見舞いに出かけるのだ。山口を午前7時に出発した。木戸山トンネルを抜けると市内とはうって変わって一面の雪の原。これは慎重に走らねば、と運転するTさんと私は心を引き締めた。徳佐駅を過ぎた頃、道路上に何か黒い塊が見えた。轢かれて死んだ猫だった。色は黒。Tさんは「嫌だわ」と言った。私は、死んだ動物を見つけると、いつもするように「大変な災難に遭ったわね。この車に乗っていいよ」と心の中で黒猫に呼びかけた。津和野の大きな鳥居が見える所で、狸が1メートルの間隔で2匹死んでいた。「乗っていいよ。どうぞ」と狸に言った。10分も行くと、山中の道路に鴨が1羽死んでいた。Tさんが「なんでここに鴨がいるの?」と言った。私は「誰かが落としたのかしら」と言いながら、心の中で「鴨さん、乗っていいよ」とつぶやいた。
 誰にも見えないけれど、この車には、Tさんと私、猫1匹に狸2匹、鴨が1羽乗っている。彼等は道路の上で長い恐怖のため眠れないでいた。今、車の快適な温かさの中で安心して眠っている。「元気が出たら、それぞれの古里に帰りなさい。それまで乗ってていいよ」と語りかけた。雪の翌日の国道9号線は賑やかだ。

今日一日 (2009年3月6日)
 私は、朝起きてすぐ夕食分の米を研いで炊飯器にしかける。その時タイマーで炊き上がり時間を設定する。私の使っているそれは、待機時間数を設定するもので、私は朝5時に米を研ぎ、炊き上がり時間は18時なので、設定時間13時間。13時間! すべてが自由にできる時間ではないが、かなりの私的自由時間がある。新幹線で大阪に行けば、往復で約4時間、寄席で落語を一席笑って帰れる。ビデオなら約6本鑑賞、多分、家中のガラス窓をピカピカにし手のこんだ料理もできるはずだ…。
 当たり前のことだが、1カ月は日々の積み重ねで、1年は、またその積み重ね。一生はそれ等の塊である。どんな塊にするかは、毎日の過ごし方による。良質の1日を過ごさないと一生がいびつになる。私なんぞは、日々を浪費してきたので、人生はガタガタである。 
 朝、炊飯器のタイマーを設定しながら、今日一日、自分に楽しくかつ充足感のある日を過ごさせてやるにはどうしたらよいか、と考える。行動しよう 学ぼう…が、ご飯が炊きあがる13時間後には、朝の決意は、どこへやら、やっぱり無駄な時間を過ごしてしまっている。人間は早々変われないよなぁー。
 今年ももう2カ月過ぎてしまった。まぁ、いいか…。明日があるさ!