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おんなの目

足先までめでる(2010年3月27日)
 可愛い足ね。おお、なんと可憐な指先か。悲しむことはない、かつて豊満な胸であったおまえのことは忘れない。臀部よ、見えないが手触りでわかる、両手からはみ出すおまえの存在は頼もしい。ああ、一生目にすることはできないが、すべすべした背中は若い頃と変わらないではないか。脂肪いっぱいの何段かに分かれたお腹だって、私にすれば可愛い。ああ、カワイイ、カワイイ。こんなに柔らかいものはない。すんなりと伸びた腿からふくらはぎまでの見事な脚線美! 食べてしまいたいほど愛しい踝よ。脇の下の窪みも濃い褐色の膝だって、お湯の上から見ればすばらしい現代アートだ!
 毎晩お風呂に入ると、私はこんなことを我が身体を撫でながら囁いている。永年、65歳のここまでわずかな支障はあるが、私を支えてくれた身体だ、誉めてやりたくなるのも当然だ。それにお湯に濡れた身体は伸びやかで美しいのだ…。
 つぶらな瞳よ、と両手で瞼をさする。ステキな唇だこと、と指先で軽くつまむ。おお、色白の頬よ、と両手で少し持ち上げてやる。なんと見事なラインの首よ、と撫でる。太い首なので数回に分けて撫でてやる。
こんなことをしていると、長風呂になり身体は益々バラ色に上気して美しくなる。どうぞお試しください!
アアー、つまんない。(2010年3月20日)
 君子さんからのハガキに「つまんない。アアー、つまんない。常識を覆し、身体からアドレナリンが噴き出すようなことって何かないかしら」と書いてあった。「そんなこと、ありません」と返信。またハガキがきた。「薄情者、つまんない毎日をおくっている可哀想な友人のために。脳みそを絞ってよ」。
 私だって、つまらない、と思う日はある。でも、そんなこと言いたくない。心が、つまんない、とつぶやくと、私の身体がぼんやりと悲しげに立つ。心と身体とは仲良しだから、心が暗くなると身体はどうしていいのかわからなくなるのだ。心と身体は協力して生きていかねばならない。つまんない、と言ったらルール違反になる。―それでも、つまんない日はある。
 “つまらない”ってなんなんでしょうね。まずは敵の背後から、ということで反対語辞典を見る。反対語は、面白い一言だけ。次は仲間を見れば実体に近づける、ということで類語大事典。ここで仰天。つまらない、の仲間は約80語。興醒め・馬鹿げる・無意味・瑣末…ろくな仲間はいない。つまんない、とつぶやくとドッとその仲間が押し寄せてきて、益々深みにはまる。面白い、の仲間には、笑える、可笑しい等笑うという言葉が多い。笑う門には福来る。これでいきましょう、君子さん。
手菜の花のおひたしの(2010年3月12日)
 春を感じさせる暖かい日の午後、Mさんと散歩にでかけた。場所はふしの川周辺。ブラブラ1時間ばかり歩いた。川には数種類の鳥もいたが二人共鳥の名前を知らないので、きれいな鳥ね、とか、騒がしい鳥だね、上手に泳ぐねー、なんて言って見ていた。木の実をついばんでいる鳥もいたが、名前は知らない。なんの木の実かもわからない。ドングリと同じ形の薄い褐色の柔らかい実であったが…知らない。
 知識のない二人の横を、腕を高く振りながら数人の男女が通り過ぎていく。目は前を見据えている。声をかけて鳥や木の名を尋ねることをはばかられる歩き方だ。ご健康をお祈りいたします、と私達は道を譲った。
 道の端を歩いていたら、川縁に菜の花が群れて咲いていた。Mさんが、あそこの菜の花は犬のおしっこもかかっていない所なので取って来ます、と言って草を分けて入って行った。Mさんが私に菜の花の蕾を両手いっぱい差し出しながら、これはおひたしにすると美味しいのよ、と言った。鳥や木々の名前は全く知らないが、食べられる植物だけはわかる。
家に帰って湯がいたら、鍋から青い生々しい匂いが立ち昇ってきた。可憐な菜の花になる前のいたいけな蕾を食べる我罪を感じながらいただいた。ほんのり苦くておいしかった。
手に入れたいもの(2010年3月5日)
 突発性難聴で10日間入院しベッドに寝ていた時、退院したらピンクのスーツを買おう、と唐突に思った。ピンク色のカーテンに囲まれていたからかもしれないが、色はピンク。それも濃いショッキングピンク。きちっとした鋭角のスーツが欲しいと思った。
 退院し、商店街に出かけたついでにスーツを見た。周囲は全部赤札がついて値引きされているのに、私がイイナァー、と思ったショッキングピンクのスーツは値引きされていず、すごく高価。この価値に負けない人だけ着てくださいって言っているような。屹立として孤高を守っている。巷の喧騒もここまでは届かない。このスーツに目をつけた自分に清々しさを感じた。名誉ある撤退だ。
 ここ数年、どうしても手に入れたいほど欲しい物もないし、食べたい物もない。万難を排して行きたい所もないし、したいこともない。通したい主張もない。これを成熟というか無気力と考えるか。
 しかし、病気になった時、颯爽とした目を見張るような色のスーツを着て何か仕事をしたい、と思う反発力はある。それも淡いものだが。
 いや、手に入れたいものはある。“何事が起こっても肝が据わっている”そういう精神だ。ベッドでピンクのスーツ以外に考えたことはそのことだ。