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稜線

稜線 (2012年2月24日)
 4月7日に開催される「第1回湯田温泉スリッパ卓球大会」が、全国的に話題を呼んでいる。
 スリッパ卓球の元祖は、スリッパ生産量日本一の山形県河北町。海外産に押されて年々生産量が落ちている業界を盛り上げようと、97(平9)年から全国大会を、04(平16)年からは世界大会を名乗って開催している。そして、昨年6月のその大会で“世界チャンピオン”を輩出したのは北海道真狩村。ここは07(平19)年から「まっかり温泉スリッパ卓球大会」を開催しており、この1月の6回目からは「全日本選手権」も名乗り始めた。また、佐賀県の嬉野温泉では、毎月最終日曜に「旅館VS宿泊者 スリッパ温泉卓球大会」を定期開催。マスコットキャラクター「ぬくいずみ部長」を制作するなど熱心だ。
 サンデー山口も共催する「湯田温泉スリッパ卓球大会」は、(1)湯田温泉のにぎわい創出(2)山口市全体の魅力づくり(3)市出身のロンドン五輪卓球日本代表・石川佳純選手を市民一丸となって応援する機運を高める、の三つがその目的。最低5年間は継続実施する意向で、前述の「先輩」たちに、追いつき、追い越せるようにしたい。そうなるためにもぜひ、地元から1人でも多くの人に参加してほしい。    (K)
稜線 (2012年2月17日)
 中国山地と瀬戸内海沿岸部をもつ山口市は、市全域の気象にも北部と南部の地域差が見られる。
 中国山地に囲まれた徳佐・徳地は寒冷期が長く氷点下に及ぶこともまれでなく、今冬は特別に寒さのきびしい日々がつづき降雪の日も多く、十種ヶ峰のスキーだよりも例年に比べて多くつづいている。これでは徳佐八幡宮のしだれザクラも開花がいつもより遅れるだろうと心配する。
 山口市の中央盆地は昼夜の気温較差が大きく、椹野川の河霧発生も年間平均が16日程度と見られているが、2月上旬から3月下旬にかけての発生が多く盆地特有の気象を示している。
 周防灘に面している市南部の秋穂、阿知須は年間を通して日照時間の長い温暖な瀬戸内沿岸特有の気候となり、菜の花だよりも早く、椹野川河口のシジミ漁、遠浅海岸の潮干狩を迎える日も近づく。
 今頃の時期に三寒四温と呼ぶ言葉がある。
 古くから中国大陸や朝鮮半島での気象用語で日本にも伝わってきた。春浅い頃、寒い日が3日、暖かい日が4日とつづくことの表現だが、脊陵山脈で南北に縦断されている日本列島では鮮明に感じるものでないが鳳翩おろしが過ぎると山口には四温の日がある。
         (F)
稜線 (2012年2月10日)
 先日、ひょんなことから、総務省統計局の家計調査結果(08〜10年)をのぞいてみた。すると「菓子類消費の際だつ」山口市の特性が浮かび上がってきた。
 ビスケットおよびスナック菓子の消費金額が全国1位(県庁所在市及び政令指定都市で)。さらに、チョコレート(2位)、チョコレート菓子(4位)、キャンデー(5位)、まんじゅう(7位)、ゼリー(8位)などが10位内に入っている。
 その他のジャンルで消費金額・数量の多いものには、アジ(ともに3位)、鶏肉(6位・3位)、合いびき肉(3位・7位)、ソーセージ(ともに4位)、ベーコン(5位・9位)、粉ミルク(3位・7位)、卵(16位・2位)、マーガリン(2位・3位)、即席めん(5位・7位)、小麦粉(6位・7位)、コーヒー(14位・5位)などがある。また、金額のみ表記されたものでは、学校給食(1位)、ふりかけ(2位)、ココア・ココア飲料(2位)、洋食外食(5位)、和食外食(6位)、乳飲料(6位)、弁当(7位)などの品目が目立った。
 こうしてみると、地元の海の幸・山の幸よりも、加工品がより消費されている実態がわかる。自然豊かな山口県なのに、なんだかもったいない。地産地消の進む仕組みを、しっかり整えたいものだ。(K)
稜線 (2012年2月3日)
 市の都市計画審議会では湯田温泉の高田公園を井上公園と旧称にする議案を可決し、市は改めて3月30日付で告示をし井上公園への改称にかかることとなった。
 明治維新の元勲で外務大臣などの要職をつとめた井上馨(聞多)生誕の屋敷跡である。
 1863(文久3)年に井上馨は毛利藩から海外視察の内命をうけて、5月に伊藤博文らと共にヨコハマを出発して上海経由でロンドンに向かった。
 一行は5人でいわゆる長州ファイヴなのだ。
 ロンドン到着半年余年の滞在中に、藩主は萩から山口へと移り、京都の急進派七卿は追放されて山口の井上家に寄寓するなどの政変があり、井上、伊藤らは帰藩を決意し1864年3月にロンドンを発ち帰国した。
 以後井上は国政の要職を歴任して伊藤、山県の長州内閣を補佐する。
 明治初年に萩から山口へ移住した膳部職斉藤幸兵衛の料亭名を菜香亭にして扁額まで書いたのは井上馨で現在も菜香亭に実存する。
 昭和30年代のはじめ同公園に中原中也の詩碑を建立することになり、市広報課に在職中だった詩人和田健氏を中心に作家大岡昇平等の協力で完成した。その他山頭火の句碑もあり井上公園は山口の史都空間だ。(F)