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郡境の碑 |
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関ヶ原の戦いに敗れ、毛利氏は本州西端の周防・長門に封じられる。参勤交代が始まった事により、萩から明木・佐々並・山口を経て防府までの53キロの道が萩往還道として整備された。幕末には維新の志士たちも往来した道でもあり、山口(吉敷郡)と防府(佐波郡)の境にある勝坂トンネル山頂の郡境の碑からは瀬戸内海が見え、安堵した人の姿が偲ばれる。
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1802(享和2)年に建てかえられた丸みのある文字の郡境の碑を、そのまま真面目に撮る。 |