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札の辻・21

札の辻・21 No.490(2009年9月5日)

 食料自産自消推進機構
 理事長・専務理事・
 事務局長・生産販売
 課長・農場員
 まるで落語の寿限無を連想するほどの長い肩書きの名刺を持っているのは山口県庁OBの伊妻稔氏である。
 伊妻氏は県庁を退職後天下りもせず市内吉敷の自宅に所有する約5アールの畑で、奥さんと野菜づくりを楽しんでおり文字通りの晴耕雨読。
 野菜はとれたてがいちばんおいしい。直売所、レストランの利用も良いが、思い切って郊外農家の畑の一画を借りて一坪菜園にチャレンジし、栄養たっぷり地球にもやさしい野菜を自分の手でつくり味わう楽しみの体験者が東京・大阪など大都市でも目立ってきた。
 コラムニストでタレントの泉麻人氏は、東京23区内で畑仕事ができるのは今やトレンディなライフスタイルであると、少年時代を過ごした練馬区の体験農園でナス・トマト・キュウリづくりに挑戦し、とれたばかりのトマトを畑でガブリとやったが現地直食の味は格別だったと喜ぶ。
 伊妻氏の畑でもいま秋ナスが育っているという。昨今ナスは年中手に入るが元来は非常に季節感の濃厚な野菜である。江戸の料理本にも晩夏から秋口はナスが主役と記載されている。
 池波正太郎は食味随想のなかで単純な秋ナスの塩もみを絶賛する。
 今宵あたり伊妻夫妻の食卓でも自産のナスが自消されるかも。(鱧)

札の辻・21 No.489(2009年8月29日)

 閑さや岩にしみ入る
 蝉の声
芭蕉が奥の細道をたどる途中、山形は山寺の立石寺に句を残すように、セミは真夏の暑さをかき立てて梅雨明けの頃から短い命の限りを鳴きつづける。
 ことしの梅雨明けは観測史上いちばん遅く、山口では平年より17日、昨年に比べると29日も遅い8月4日だった。
 晩春から初夏にかけて鳴くハルセミは別にして夏の到来をつげるチーチーゼミ、つぎにアブラゼミ、ヒグラシとつづき旧盆すぎからツクツクボウシが夏の終わりを知らせると、セミのコーラスは消えてゆく。
 ところが梅雨明け前の8月2日にあった野田神社能楽堂での薪能の夕刻、神社の森から突然聞こえてきたのはカナカナカナのヒグラシだった。そして我が家のヤマモモの木でチーチーゼミが鳴きはじめたのも梅雨明け後の8月5日からだ。
 ヒグラシは例年立秋のあとに新涼を感じさせて夕暮れを鳴くセミなので、最近は気象だけでなく昆虫を代表する真夏の声楽家の発声サイクルも不順となってきた。
 すでに終わりが近くツクツクボウシの声も細くなっている。このセミはセミの仲間では体長3?と小さく、黒地に薄い緑色の模様を持っており、鳴き声から法師蝉とも呼ばれていることにそこはかとない哀愁すら湧く。
 変則的な気象の中この夏のセミたちのゼミナールも終了する。(鱧)

札の辻・21 No.488(2009年8月22日)

  さる8月2日に野田神社能楽堂で行われた山口薪能を観賞した。
 シルエットを見せる鴻ノ峰の空から夕陽が反映する能舞台では、大鼓・小鼓のよく通る乾いた音につれて舞囃子、仕舞とつづき、薪の火入れ式があったあとに、太郎冠者役の野村萬斎の狂言「清水」がおもしろおかしく上演された。その頃から夕闇が訪れる野田神社の深い木立に起きたヒグラシの声が、舞台での言い回しの合間にタイミングよく聞こえてくる。
 小憩のあと、シテ粟谷能夫、ワキ森常好による能・鬼界島が始まると、能楽堂の上空が晴れ月齢(11・0)の満月にほど近い夏の月が昇り、まるで歌舞伎舞台の書割りを思わせる情景になる。
 江戸時代に芝居小屋で演じる浄瑠璃歌舞伎に対し、能狂言の伝統はそれより300年も古く、中世室町期に奈良や京都にある神社仏閣の空間に設営された舞台で公演する野外劇であった。
 ところが明治維新で幕藩体制が崩壊し能狂言は保護者を失い衰退するが明治新政府の体制が確立する明治10年以後、各流派を中心に復活、本舞台、橋掛りを備えた本格的能楽堂が各地に興る。
 鬼界島の終末では独り島に取り残される俊寛が、怒りと絶望に狂う時に中天の月は雲に隠れるが、離れゆく船影をあきらめで見送る場面では再び月は姿を見せた。
 能狂言にヒグラシと月が絡む夏の夜の叙情的舞台となる。(鱧)

札の辻・21 No.487(2009年8月8日)

  先日宇部全日空ホテルで開かれた「泡盛を飲む会」に出向いた。
 元NHK山口放送局長藤井陽一郎氏が主催する会で、すでに10年を経ており今回も沖縄県酒造組合連合会からも数名が参加して会員200余人は馴染みの名柄のほかに、沖縄から運ばれてきた島造り銘醸泡盛のいろいろを水割りで傾ける。
 出された琉球料理もラフテイ(泡盛で煮込む豚の三枚肉)、チャンプル(豚の耳皮とモヤシの油炒め)などアジアが見えてくるという味覚がたのしかった。
 東京池袋に「おもろ」「珊瑚」「みやらび」とある泡盛の店に通った頃を思い出す。なぜかこれらの店には詩人、作家、画家、新劇人たちが常連となっていた。

  島。
 蛇皮線の島
 泡盛の島

 詩の島 踊りの島
 唐手の島

 蘇鉄や竜舌蘭や
 榕樹の島
 真紅の花 梯梧の島

 琉球よ 沖縄よ
 今度はどこへゆく。

 八重山生まれの詩人山之口獏の戦後詩だった。
 泡盛を飲んで想う、ことばや食材にはじまり島のくらしを支えてきたのは個性の強い琉球文化なのだと。
 会場には山口からの村岡満、福田百合子お二人の笑顔もあった。
(鱧)

札の辻・21 No.486(2009年8月1日)
  招 朝、濡縁にスズメが横転し息絶えていた。

 わが家では高さのある庭石を食餌台として残り物の飯粒やパン屑などを置き並べスズメに毎朝与えているが、いつも10羽前後にぎやかに集まる。死んだスズメは就餌中ネコに襲われ、あわてて飛び立ちガラス戸に衝突したと思える。ネコはねばり強く餌台石近くの植え込みの陰に身をひそめつつ、突如跳躍しスズメを捉えようとするのだ。またカラスも平然と餌場に降りて来てスズメたちを驚かせることがある。
 スズメはユーラシア大陸に広く分布し日本、朝鮮半島、中国など四季を通じ人家周辺にもっとも多く棲息し、森林・山岳地帯ではあまり見かけない。彼らは草の実を主食とするから麦や稲の実る頃になると大小の集団となって田・畑に群がり、庭の餌台に集まる数は春と秋には少なく、雪のある冬期や炎天の夏にやや多い。
 とにかくスズメは人家の屋根瓦の下に営巣する習性をもっていて、人里や町から姿を消すことは考えられない。

 大仏の鼻で啼くなり
 雀の子
一茶
 すずめおどるや
 たんぽぽちるや
山頭火
 一茶は江戸から信濃へ山頭火は旅から旅へと自然性豊かな発想と表現でスズメをおおらかに見つめている。
 衝突死のスズメの亡骸は庭にある紅梅の根もとに葬った。 (鱧)

札の辻・21 No.485(2009年7月25日)
 招待されて東京歌舞伎座さよなら公演・七月大歌舞伎を観た。演目は幸田露伴作「五重塔」と泉鏡花作「海神別荘」である。
 五重塔は十兵衛(中村勘太郎)と源太(中村獅堂)の大工ふたりの塔創建に絡む対照的な職人気質の意地を描いた1791(寛政3)年の話だ。山口瑠璃光寺の塔は1442(嘉吉2)年創建で約350年前に遡り室町期の建造技術が偲ばれた。海神別荘は海底の宮殿を舞台にした幻想味溢れる泉鏡花の作品で、宮殿公子(市川海老蔵)と地上の美姫(坂東玉三郎)による恋の鞘当には玉三郎の女形ぶりが妖艶で役柄が光る。
 ところで歌舞伎座は09年1月から10年4月まで「さよなら公演」の観劇期間を設定し、直後に13年完成を目指して工事に着手するが、新時代に合った劇場とオフィスを包含した29階建のビルを完成させるという。
 昨年計画が?松竹で発表されて以来都民は勿論、文化芸術団体、マスコミなどから批判の声が起きたが押し切られた。
 歌舞伎座は歴史的景観に寄与していると国の「登録有形文化財」にも指定されているほど世界的な伝統芸術劇場で、パリのオペラ座、ミラノのスカラ座、ニューヨークのカーネギーホールと並ぶ東京のランドマークとなっているほどである。
 もはや改築は進むが高層ビルの中でも日本の伝統美は建築技術で生かして欲しいものだ。(鱧)
札の辻・21 No.484(2009年7月18日)
 山口大学経済学部同窓会東京支部主催の総会で郷土出身作家高樹のぶ子の講演を聴く。
 1946年生まれとは思えぬ若々しさを感じさせる彼女は、生まれ故郷防府での生い立ちから話す。それは著作「マイマイ新子」の書き出しと同じで−草や雑木で覆われた小川が北側の山から流れ田んぼの脇でほぼ直角に折れ曲がって、竹やぶに当たり再び直角に向きをかえる。祖父は川というものは直角に曲がることはない、これは大昔に造られた川だと説いたと、彼女の半生をふるさとの自然に重ねて祖父父母友人と各々の戦後の生きざまを語り、子供の頃に父の勤務で山口の一ノ坂川近くや湯田に住んだこともあって、一ノ坂川の川音とサビエル記念聖堂の鐘のひびきや、公園下の大学校舎など忘れ得ぬ山口の風景もなつかしむ。そして一般的に戦後の国民生活はきびしかったが、季節の手ざわりや家族のつながりで、子供は子供らしく成長できる環境は豊かであった。あれから50年、日本は高度成長を遂げたが何かと多くを失ったことか−と少女期の思い出が体感となって流れていると話した。
 終戦直後に生まれた彼女と同世代の中上健次にも故郷熊野の風土を背景に家族関係を素材にした作品があり、二人の内向性は同時代をとらえる触手的存在だと思う。
 芥川賞受賞作「光抱く友よ」に見る前向きの探求姿勢は、ひたすら今も星に向かっている。(鱧)
札の辻・21 No.483(2009年7月11日)
 明12日から大相撲の名古屋場所がはじまる。
 この場所も白鵬、朝青龍の両横綱と大関日馬富士のモンゴル勢3強による優勝争いが予測され、日本人力士はこのところ3年半も蚊帳の外である。5月場所で健闘し関脇に返り咲いた稀勢の里が外人力士に対抗できる存在とされているが、いまひとつ相撲に甘さが目立ち迫力に欠ける。それに有望で期待の豪栄道や栃皇山も同様で外国勢のパワーとスピードについていけないモロサがある。
 さて気になるのは郷土力士の豊真将と豊響なのだ。豊真将はさる5月場所で東前頭筆頭に昇進したが14日目まで連敗しつづけ千秋楽にやっと初白星をあげ号泣したが「勝てないのにすごく声援をうけてうれしかった頑張ります」と話す。左手首手術後の後遺症で殆ど左腕が使えず苦難の土俵だった。今場所は幕尻の15枚目できびしい番付であるが全国的なファンの期待に応えて欲しい。
 豊響は5月場所に敢闘賞は得られなかったが11勝4敗の好成績で、名古屋では西前頭2枚目に躍進し同部屋(境川)の豪栄道に続く位置となった。身長180センチ体重175キロ、鋭い出足と立合いの馬力は幕内NO.1だとされ、久しぶりに大型の正攻法力士が出現した。幕内上位の壁は厚いが平成の猛牛といわれている相撲ぶりを充分に発揮して欲しいものだ。
 かつて南洋場所と呼んだ名古屋の夏に郷土力士の個性が光る。 (鱧)
札の辻・21 No.482(2009年7月4日)
 NHK衛星第2テレビで往年のアメリカ映画「老人と海」を再度なつかしく見る。
 キューバの、名も無く淋しい漁村に暮らすスペンサー・トレイシー(名演)扮する老いて孤独な漁師は、このところシケ続きで84日間も出漁できない。その海が凪いだ日に彼はひとり小舟ではるか沖へと向かう。眠気を催しつつ村で彼を慕ってくれる少年の姿など想っていると、突如強引な手応えがあって巨大なカジキマグロがかかる。ただちに老漁師とカジキとの格闘がはじまる。昏れた夜の海で我慢強く巨魚と引き合った翌朝、やっとカジキを船側に縛りつけて村を目指すも今度はそのカジキをサメの群れが襲う。しばらく老人はサメと戦うがついにカジキは樽のごとき頭部と長く白い骨だけの残体となった。
 疲労困ぱいした老人は小屋に着くやベッドに倒れこみ泥のように眠る。駆けつけた少年が心配し飲物を求めて走る。
 原作は自然派の作家ヘミングウェイで、孤独な人間の意志とぎりぎりに生きる体力との相克を描いたドラマなのだ。
 日の出と日没、ふたつの太陽が水平線の大海原を鮮紅色に染めて海鳥の群れ飛ぶ光景は雄渾ですばらしい。
 この映画に私はかつて度々出漁した角島沖の潮巻ノ瀬の舟釣りでマダイやイシダイを釣りあげるとき、ビシ糸に伝わる壮快な魚信の躍動感を思い起こし、北浦の海の潮騒までよみがえった。(鱧)
札の辻・21 No.481(2009年6月27日)
 ことしも九州の南端指宿の親戚から枝豆が届いた。枝豆には月見豆との呼称があり、以前は九月中秋の名月に供えられ豆名月の所以となったが最近は早春に種をまき初夏には実るようになる。大豆の熟さないもので枝についたまま店頭に出回るから枝豆と呼ぶ。
 枝豆に関して意見が分かれる二つの食味隋筆があっておもしろい。
 ひとつは元慶應大教授池田弥三郎氏の隋筆「枝豆は生意気だ」である。
 ○大相撲五月場所の桟敷に、やわらかでさみどり色さわやかなソラ豆が運ばれる。ところがソラ豆の出番は短かく、場所半ばからは枝豆がしたり顔で登場しつづける。五月場所が終わり、梅雨も開けて両国で行われる川開きの縁台にも枝豆が出しゃばり五月、六月、七月と顔を見せ、揚句の果には飲み屋の突出しまで枝豆となる。まったく枝豆は生意気だ。−
 いまひとつは作家獅子文六氏の「食味歳時記」の枝豆だ。
 ○青い枝豆は初夏に出始め両国の川開きの頃には盛りとなる。川開きの花火を見るために柳橋あたりの料亭へ行くと枝豆が出される。よく実り味もよく川風の涼しさと花火の音にも調和した。私は大相撲の五月場所と川開きの枝豆はいちばん所を得ていると思う。−
 1月には早くも菜の花マラソンが開かれる南国指宿の枝豆は、丸味があって甘くビールにも焼酎にも合った。枝豆は枝豆である。(鱧)