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札の辻・21

札の辻・21 No.500(2009年11月14日)
 街路樹の枯葉が散りいそいでいる。気圧配置が西高東低の冬型となれば灰色の空に木枯らしが舞う日も近い。
 この頃に大陸から高気圧が移動してくると、北風が一時的に弱まり晴天となって暖かい日がくることを小春日和という。
 「天気和暖にして春に似たり故に小春とする」と古代中国の気象事典に記述がある。秋から冬にかけての間に訪れるおだやかな

日を特別なことばで表現することは外国にもある。
 アメリカではインディアン・サマーだ。インディアンの狼火が風もなく立ちのぼるような日和という意味である。ドイツの場合

は「アルトバイベルゾンマー老婦人の夏」とするが気温は若人の夏ほどではないということか、またロシアは「バービエ・レート女の夏」だが緯度が高いので9月末から10月前半の時期になるらしい。

 小春日や石を噛み
 いる赤トンボ 鬼城

 季節のエアポケット日和の一句である。
 11月といえば一年のしめくくりの大相撲九州場所がいよいよ明日からはじまる。
 郷土力士の豊真将、豊響は秋場所を負け越し共に新番付を下げた。
 豊真将にはいまひとつ積極相撲を、豊響は猪突猛進あるのみ、博多は山口の相撲ファンにとっては身近な本場所、力士幟が玄海の潮風に音をたててはためく。(鱧)

札の辻・21 No.499(2009年11月7日)
 フランス・ワインの新酒ボージョレ・ヌーボーの、世界的に11月第3木曜とされている解禁日が近づいてきた。
 80年代から90年代初頭にかけてのヌーボーのブームは一時的な流行で最近は低調気味となっている。航空便での祝儀値で高くされていたが1カ月後の船便になれば半値以下となるからだ。
 しかしできたてのワインはさわやかでボージョレ地方に限らずヨーロッパ各地域で盛んに新酒を祝う習慣がある。
 オーストリアのウィーンでは秋を迎えると盛大に新酒まつりが行われ、ウィーンの森に近い「ホイリゲ」と呼ぶ酒場ではグラスではなくジョッキで新しいブドウの風味をたのしむ。その値段もビール並で各国からの観光客の姿も多い。
 オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカなど南半球のヌーボーは当然ながら日本の晩春から初夏の季節となる。
 ところで日本では料理によってワインの組み合わせを決めるむきもあるが全く関係ないらしい。
 かつて私はポルトガルはリスボンのレストランで、炭火によるイワシの塩焼と赤ワインが出たこともある。ソムリエ田崎真也氏は鍋物には白、スキ焼には赤も合うが、自分の舌に合わせるのが一番で、料理とワインに格別のしきたりは無いと。
 ボージョレでなくとも山口県下には地ワインもある。この秋はヤマグチ・ヌーボーで炭火焼の地ドリといくか。           (鱧)
札の辻・21 No.498(2009年10月31日)
 夕されば大根の葉に
 降るしぐれいたく寂
 しく降りにけるかも

 歌人斎藤茂吉はふるさと蔵王山麓に冬を迎えた高原風景を詠んだ。
 大根は古事記や万葉集にも見られ、吉田兼好の徒然草には「朝な朝な召しつる土大根云々」と書かれる。原産地はコーカサス南部からギリシャに至る地中海沿岸地方とされており、日本産大根の特徴は世界でもっとも大型で、冷涼な気候を好む作物であるがわが国では生態的分布が盛んで気温適応性の幅が広く、品種も全国的に改良された。
 代表的な産地としては練馬、三浦、守口、桜島などが知られるが、昨今は練馬の耕作地帯で都市化が進み、今や東京湾口の三浦半島が気候温暖で関東地区の孤塁を維持している。詩人高村光太郎に次の詩がある。
 大根はいびきをかいて
 育ち、葱、白菜は日に
 けむる。
 鍋物、煮物、汁物、雑煮、おろし、なます、漬物など多目的に利用される大根は往古から現代へとタイムスリップする。
 薩摩を代表する産物はサツマイモと桜島ダイコンで、鹿児島弁では大根をデコンと言い桜島火山灰土壌に適して巨大に生育し、おろしをイワシやサバだけでなくブタ、トリの塩焼きにも用いる。
 
 風呂吹や地酒た
 のしむ休診日

医師の句である。
(鱧)

札の辻・21 No.497(2009年10月24日)
 ことし収穫した新米ですぐ醸造した出来たての酒を新酒という。しかし最近は寒造りが多くなり、季節的に主として早春の頃に出回る。

 フランスワインの新酒ボージョレ・ヌーボーはパーティー風で試飲が行われるのに対し、日本酒の新酒は独り酒でしみじみ味わうむきが多い。
 
 秋の夜を独り飲む酒
 淋しからず李杜が来
 て飲む牧水も来る

 これは全国酒まつりでの投稿歌だが、李杜とは中国・唐時代の詩人李白と杜甫の略称である。中国では古くから酒仙、酒徒、酒鬼などの言葉があって李杜は共に酒仙と呼ばれていた。
 その李白に「月下独酌」の詩がある。
 
 盃を挙げて明月の昇
 るを迎え、月と私と
 影とで三人と成る。

あの「白玉の歯にしみとほる秋の夜」が親しまれている若山牧水はまた

 酒無しに今日は暮る
 るか二階より仰げば
 空を行く鴉あり

 酒と旅を愛し幾山河の人生を送った歌人の哀感が漂う。
 旅のあわれか 人のあわれか 私のあわれか あわれあわれに生きると言った山頭火は
 月夜の水を猫が飲む
  私も飲まう
 
あわれに浸る。(鱧)

札の辻・21 No.496(2009年10月17日)
 直木賞作家古川薫氏の著作「三国志(上)」が出版された。

 その日わたくしは
 客にむかえた友人
 たちと舟をうかべて
 赤壁のもとに遊んだ

と序章が長江の赤壁よりはじまる長編の叙事詩でまとめた三国志である。
 この夏古川氏から「目下三国志と奮闘中です」の便りがあった。昨今三国志関係の作品はコミック版に至るまで多様だが、古川三国志は切り口を替え予想を超えた叙事詩で登場し、まるで謀略、機略の横行するなか歴史の大転換をもたらした赤壁の戦いの如く、吉川英治三国志、柴田錬三郎三国志に見るロマンを超えて詩情豊かに展開する。
 三国志は魏、呉、蜀の三国時代の正史で古代日本の記述もあり、登場する人物が千人以上、広汎に及ぶもの語りの舞台には、合戦、友情、忠節、計略など人間の生きざまが複雑に組み込まれた歴史本である。
 私は20余年前に四川省成都で、三国志の英雄諸葛孔明と劉備を祀る武候祠や詩人杜甫記念堂を見学したあと、重慶から宣昌までの約200キロを2昼夜かけて長江の三峡下りをした。
 大河のはるか両岸にそびえる断崖絶壁の岩盤に、桟道を切り開いた民族の強靭なる意志と根気の年月を偲ぶことができたが、古川三国志にも悠遠なる天府の国の流れの如き歴史の旅情が滔流している。 (鱧)

札の辻・21 No.495(2009年10月10日)
 1986年に京都市「哲学の道」などと共に「日本の道百選」に選定された山口のパークロードは、いま枝張りを広げたケヤキ並木が紅葉前線を迎え始めている。
 京都の哲学の道は左京区鹿ケ谷・浄土寺地区の琵琶湖疎水沿いにあり、銀閣寺前に至る約2キロの区間で、呼称は元京都帝大教授で哲学者の西田幾多郎がよく散策していたことにはじまる。この道はサクラ並木が整備され法然院や銀閣寺に近く観光客の姿も多い。
 西田幾多郎といえば山口にもゆかりがある。
 西田は1897(明治30)年に旧制山口高商の前身山口高等学校の教授となり2年間を山口で過ごした。
 そして西田哲学の愛弟子だった滝沢克己も、ドイツ留学後の1937(昭和12)年にやはり山口高商の哲学教授として赴任し戦後九大へ転任するまで学究生活を送る。
 「山口は四十年前旧知の地、今いかになり居るか懐旧の念にたへず。三月十四日、滝沢君へ」と西田から滝沢への手紙が残されている。
 パークロードの県立美術館の濠端から正門に至る区間に、山口高商時代からの石垣が県の配慮で残されており、西田や滝沢も歩いた山口の哲学の道ともいえる。
 これからケヤキ並木は秋色のシンフォニーを奏でながら、落葉後の枝先が網目の如く初冬の空に交錯するまで、歴史と文化の匂う山口の自然空間を象徴する。  (鱧)
札の辻・21 No.494(2009年10月3日)
 河畔に住むと葦原をわたる川風が秋を身近に感じさせ、
 あはれ
 秋風よ
 情あらば伝へてよ
の佐藤春夫「秋刀魚の歌」も浮かぶ。彼は和歌山県新宮市の出身で、紀伊勝浦駅前には秋刀魚の歌の詩碑がある。
 親潮と呼ばれる千島列島よりの海流は寒冷前線が迫ると、北海道沿岸を海藻やサンマを育てながら三陸沖へと南下し、やがて房総から紀州沖へと向かう。この時期には潮ノ岬をかすめて北上する黒潮が親潮に対流し、サンマの群れは潮流に阻まれ熊野灘を回遊するから刺網で水揚げする。これを紀州の方言でサエラ(サンマ)漁という。
 人妻に恋をして離婚、再婚を遍歴し落莫たる心情のはてに詩人は
 今日の夕餉にひとり
 さんま食ひて
 思ひにふけると
と歌い、さらに青き蜜柑の汁をたらしサンマのほろ苦い腸を味わう。
 築地市場では古くから隠岐の鮑、馬関の河豚、秋田の雷魚、水戸の鮟鱇、若狭の鰈、広島の牡蠣、佐渡の烏賊、駿河の甘鯛、などの呼称があって秋刀魚は房州とされているが、房州の秋刀魚は紀州の漁師から伝えられた刺網漁法によると「築地見聞録」に付記する。
 ともあれ、いまどきは山口でもイキの良い銀色肌をしたサンマが手に入りやすい。
 さんま さんま さんま苦いか塩っぱいか、秋潮の運ぶ味覚。 (鱧)
札の辻・21 No.493(2009年9月26日)
 国宝阿修羅展を太宰府の九州国立博物館で見る。会期が終わりに近く入場者は延々長蛇の列だった。
 奈良興福寺の仏像の並ぶ展示ホールは極度に下げられたルクスで暗く、まるで白昼の勢いが薄れ夕闇の訪れる頃に興福寺
の金堂で行われるという説法舞台を偲ばせるほどで、流感予防マスクをつけた人々が目立つ。
 阿修羅像はわずかな電光に包まれ、異形ではあるが威嚇的でなく自由に伸びた六本の腕と指先にはやさしさも感じられ、それに三つの顔の表情は超人的な顔ではなく、むしろ人間味漂う近代感覚の眼差しすら感じた。
 興福寺の創建された700年代の天平時代は日本の塑像史のなかで最も多彩な時代で、写実を目指し力強さと彫刻的な空間の雄大さを探究する仏師たちの活躍したときでもある。
 阿修羅像のほか八部衆像の数体を見つめると、気宇壮大さが感じられ量感のある体躯や写実性に富む表情には人を引きつける迫力があった。
 天平仏像の原形はインド北西部(パキスタン)のガンダーラで造られ、中国朝鮮半島を経て仏教伝来と共に来日したが、西域のシルクロードにまで及ぶ高度な唐文化の魅力は熱狂的に当時の平城京に迎えられた。
 菊の香や奈良には 古き佛達   芭蕉
阿修羅展からの帰途、博多駅で八部衆仏像の分厚い唇に似た辛子明太子を買った。(鱧)

札の辻・21 No.492(2009年9月19日)

  「寂然不動」
 これは去る9月5日に安倍晋三元総理が、わざわざ菜香亭へ持参された揮毫である。
 ―静かに思考し心は動かず―のことばには、ゆれ動く政局の中あくまで?美しい日本?を目指す安倍さんの心境が秘められていると思う。
 菜香亭の150畳敷の大広間には初代総理伊藤博文をはじめ、近代日本の歴史に足跡を残す人たちの書が保守から革新ま
で掲額されている。
 安倍さんはずらりと並ぶ額をじっくりと眺めながら、とくに幕末維新のとき長州へ落ちのびた七卿のひとり三条實美の書
があることに注目されていた。
 山口県出身の総理の書には伊藤、山県、桂、田中、岸、佐藤とあるなか、安倍さんにとっては岸(祖父)、佐藤(大叔父)は血縁に当たるので感慨深い様子だった。
 ともあれ、明治、大正、昭和、平成とつづく長州出身総理でいちばん若い総理の書が菜香亭に加えられた。
 安倍さんは大広間で新聞・テレビの取材を受けたあと和室の客間でくつろがれたが、山口の風土で育った木材を利用した
天井、柱、廊下の経た年月を偲び、明治初年から一世紀半にわたる長州史が塗りこめられた歴史的空間であるとの文化庁調査報告書のあることにうなずかれていた。
 安倍さんは菜香亭を発たれるとき「庭もすばらしいですね」と笑顔があった。(鱧)

札の辻・21 No.491(2009年9月12日)

 先日長門市は仙崎へ向かう途中に秋吉台近くの集落を過ぎた頃、道路わきにススキの群落があった。風にそよぐ出たばかりの穂先にそこはかとない秋の気配を感じる。
 (それは秋近い日だった。砂のような雲が空をきらきらと流れていた。そのとき不意にどこからともなく風が立った。風立ちぬ、いざ生きめやも。)堀辰雄の名作「風立ちぬ」の一節だ。
 仙崎へ着き一路湾岸沿いに通浦までゆく。
 往古は捕鯨で賑わった港に休漁中の小型底引漁船が数隻舳先を並べて停泊している。
 天保年間の防長風土注進案には「通浦は青海島の東端にあり、一帯は鯨が回遊し捕鯨漁が盛んで浦人は鯨組を組織し、延宝年間には萩本藩の助成を仰ぎ更に捕鯨技術が向上する。浦の浄土宗向岸寺に鯨供養の観音堂を建立し、解体鯨には(遊海寂念)(鯨海遊心)(得道慈念)等と戒名を付して鯨鯢群類過去帳に記す」とある。
 仙崎は瀬戸崎の地名で日本海沿岸航路の船舶出入港としても北前船以前から知られ1610(慶長15)年の検地帳にはくわしい記録が残る。
 詩人みすゞの町へと引き返す、残暑にもかかわらず「みすゞ記念館」に観光客の姿が目立つ。
 港の食堂で鯵フライの昼食を取った。瀬つき鯵の旬で仙崎の町には潮の匂いがある。
  
 夕凪ぎてみすゞの海
 に鰯雲
        (鱧)