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札の辻・21

札の辻・21 No.510(2010年1月30日)
 北海道の網走・知床沿岸にオホーツク海の流氷が接岸してきた。立春まであとわずかとなり森繁久弥の「知床旅情」が浮かんでくる。
 知床を舞台にした映画「地の涯に生きるもの」は森繁プロダクションの制作で、吹雪と流氷のアイヌ以来の風土にくらす人々の日々を描いたもので、原作は戸川幸夫の小説「オホーツク老人」であった。
 戸川幸夫は「高安犬物語」で直木賞を受賞し、倶知安や美幌などアイヌの地名が残る北海道各地のヒグマやキタキツネの生態を追求する動物作家であった。
 森繁は戸川作品から見渡す限りの原野と季節風の荒ぶ氷雪の中での長期ロケを終えたとき、その間献身的に協力してくれた現地の人たちと別離の宴をもったが、映画と同じ人生を送ってきた老人もふくまれていた。こうしたつき合いの中で森繁作詞作曲の「知床旅情」が生まれ唄われた。
 別れの日は来た
 羅臼の村にも
 −
この歌に元歌があるがあまり知られていない。
 森繁は知床ロケで国後に熱い望郷の想いを寄せる島民を見つめる。
 オホーツクの海原
 ただ白く凍て果て
 命あるもの暗い雪の
 下、かすむクナシリ
 わがふるさと
 いつか詣でん親の墓にと詩にした。
 森繁久弥の本籍は菜の花だよりも近づく山口市秋穂である。(鱧)
札の辻・21 No.509(2010年1月23日)
 年明けから寒気団におおわれ寒い日がつづき、寒中に思うのはさらなる北国の冬景色である。北の自然、北の野生などと北という字が目立つ2月の北海道宗谷岬に行ったことがある。
 シベリアからの季節風が吹き抜けて海峡の雲が切れ、透明に近い冬の光が甦る水平線に、サハリンの島影が遠望され岬の先端に記念碑があって北緯45度31分の数字が刻まれていた。
 最近手に入れた新刊のA3判大型世界大地図を広げると、ハンブルクは約54度、コペンハーゲンは約56度、ストックホルムとモスクワが約60度で宗谷岬より北緯となる。
 雪と氷と白夜の国の極寒を偲び、さらに太古の姿をとどめるカムチャッカとアラスカにヒグマや白熊の生態をレンズに求めた写真家星野道夫と岡田昇の耐寒記がある。
 =テントの上に積る雪の中で氷原の彼方に舞う不思議な光を見つめた。一万数千年前の遠い昔にアジアから渡ってきたモンゴロイドの人々もまたこの夜のようにオーロラの下を旅したであろうか=とアラスカの星野道夫。=ツンドラの大地だが私は精神的に充実してきた。ヒグマたちは日々戦い、喰い、眠りながら悠々と生きている=とカムチャッカで岡田昇、ふたりとも凍てつくカメラを離さなかった。
 「地図は見るだけでなく読むものである」とは司馬遼太郎。
 北極圏に寄せるわが連想の氷柱である。(鱧)
札の辻・21 No.508(2010年1月16日)
 “昨年は岩手県盛岡市で緊急手術をし長期入院をして本当にご迷惑をおかけしました。おかげ様で写真の通りすっかり元気になりました”
 これはシナリオライター内館牧子さんから、すっぽり白雪を被った岩手山を背景にビルの屋上でのスナップに添えた年賀状で“盛岡は父の故郷です。岩手山には私自身も幼い頃から馴染んでおり今に思えば、あの堂々たる山の姿がずいぶんと力を与えてくれました。
 そのうちまた山口へもゆっくりお伺いしたいです”とあった。
 岩手山は標高2千余?で岩手富士又は南部富士の別称があり、古くから山岳信仰の対象ともなってきた。山麓にひらけた盛岡市は旧南部藩の城下町で、市内にサケの遡上する中津川をもつ史都でもある。
 また盛岡は宮沢賢治や石川啄木の詩人・歌人ゆかりの地で、賢治は旧制盛岡高農に啄木は旧制盛岡中学に学んだ。
 人口23万余、山と川の自然に恵まれる盛岡と、人口20万近くなり標高はあまりなくとも山容に特色のある鳳翩山系と本支流にホタルの舞う椹野川のある山口市とよく似て中也・山頭火の詩人・俳人ともゆかりが深い。
 内館さんはかつてNHK大河ドラマ毛利元就の脚本で来山し一の坂川のホタルに感嘆、大内義隆の最後を「こぼれ蛍」とし放映した。彼女は今年の大相撲初場所で10年間の横綱審議委員も任期満了となった。(鱧)
札の辻・21 No.507(2010年1月9日)
 青い波頭の寄せる下田沖のプロローグから、近代日本の指針となった松陰・吉田寅次郎の創作ミュージカル「SHOWIN」=若き志士たち=を旧臘23日山口市民会館で観た。
 踏海の松陰ではじまり幼少年期、野山獄、松陰と婦人、松下村塾と若き志士たち、松陰と高杉晋作、そして飛耳長目から松陰の刑死に至るまで、構成がしっかりしており2時間に及ぶ熱演に満員の観客席を立つ人はいなかった。
 高杉晋作や久坂玄瑞を絡めた松下村塾にはあの大江健三郎の「師弟の風景」を思い出した。
 「松陰は萩という郷土を愛し、そこに生れる愛郷心が松陰のナショナリズムではないか。郷党ということばがある。萩と呼ぶ土地へ育った若い人たちへの愛情が湧き一緒にやっていこうとは、『坂の上の雲』の子規と同じく弟子に対し熱情をこめて相対する」と。
 また、野山獄では武家社会にあっても松陰が抽象像としての女性感を女囚ひさに抱く情緒が俳句を通して交流し、ひさ女にも幕末期の新しい女性像が漂っていた。
 飛耳長目。耳を遠きに目を長くして情報をかきあつめ、透明で科学的な洞察力を養い、しかも心情的に優しさをもって、国際認識、現状把握を極めようとする吉田寅次郎の若い生涯が鮮やかに浮彫にされた。
 蛇足をつければ下田の吉田松陰は踏海でなく踏晦である。(鱧)
札の辻・21 No.506(2009年12月26日)
 年の瀬も近くなった一夜、ニューメディアプラザ山口で「江戸糸あやつり人形」の実演を見た。
 浄瑠璃語り、三味線演奏、人形の動作が一体となってつくり出す人形芝居は、慶長年間(1596〜1614)から江戸では歌舞伎狂言にも登場するほど江戸っ子たちの間で人気を呼ぶ。
 当夜は特別に設けられた江戸時代風の操り舞台の上で、かっぽれ、黒髪、酔いどれ、ショジョジ、獅子舞などの演目が、江戸糸あやつり人形遣いの上條充氏のあざやかな手さばきによって見物客は江戸情緒に引き込まれ、達者な人形の動きに魅了されてゆく。
 なかでも私は「沖の暗いのに白帆が見える、あれは紀ノ国みかん船」の三味線ばやしに乗ってくり出した「ひょっとこ」「おかめ」のかっぽれはたのしかった。
 かっぽれは幕末に起こり明治中期に全盛をきわめた俗謡に合わせる唄踊りである。豊年踊りともいわれ大道芸であったものが歌舞伎の所作事となり寄席演芸ともなった。樋口一葉の「にごりえ」、森鴎外の「雁」の一節にも若い娘によるかっぽれが書かれている。
 上條充氏は近年南米各国やパレスチナなどで公演し、人気を博しているが、ヨーロッパ各国のあやつり人形は、指先の動きにまで感性のつたわる日本のあやつり人形には及ばない。
 風花の舞う師走の寒さを忘れるひとときであった。また見たい。(鱧)
札の辻・21 No.505(2009年12月19日)
 往年の作家火野葦平に河童会議という随筆集がある。その中に現鳩山総理の祖父で当時の鳩山一郎総理と、NHKで新春対談したときの感想が書かれていた。
=鳩山さんはニュースで見たとおり柔和な人柄で言葉もおだやかだった。いかにもお坊ちゃんらしく私たちが政治家に感じるどきつさやいやらしさもなかった。そのかわり迫力も感じられなく薫子夫人がつきそっていて、ときどき鳩山さんの話を補足した。
 四方からライトがあてられ私は少し気おくれもした。私は国民として政治と選挙の粛正をしてもらいたいことや税金を安くしてと述べた。現在の政治家は選良でなく選悪だともいった。
 鳩山さんは、政治家は相当よくなっているはずだと答え、それから税金も安くなっていると言いながら奥さんの顔を見た。そこで私が安くなっているどころか高くなっていますと言うと、薫子夫人が「主人は昔から財布を自分で持ったことがないのですよ」と笑った。
 財布を自分で持ったことがないというのは、自分で銭に手をふれたことがないという意味らしかった。私はうらやましいと思ったが、日夜銭のことで四苦八苦している国民の政治をする総理大臣が銭にさわったことがないとはいかなるお伽ばなしなのだろうかと小首をひねった。=
 この随筆から45年、祖父と孫の顔が重なってくる師走である。(鱧)
札の辻・21 No.504(2009年12月12日)
 あちこちでクリスマスツリーにイルミネーションがきらめく光景がきわ立ってきた。
 世界的にクリスマスツリーはモミ(樅)の木が使われる。文藝春秋12月号の表紙にはニューヨーク市のロックフェラーセンターホールに立つ巨大モミのツリーが画いてあった。ツリーを仰いで祈る小さい人影と比較すると、さすがアメリカだと思わせる壮大で豪華なスケールを感じた。
 モミは冬になると落葉樹の多い温帯林の中ではひときわ目立つ常緑針葉樹で岩手県以西の本州・四国から九州屋久島にも自生し、富士山麓の山中湖畔にはモミの樹林があり大樹の梢越しに見る富士の山容に尊厳さが加わって見えるという。
 サンタクロースのふるさとはフィンランドのコルバトゥンドゥリといわれ、深い森林地帯はモミの大樹林で雪の深い道をトナカイの橇に乗ったサンタクロースが現れると世界の子供たちが想像し、毎年クリスマスにはサンタクロース宛の手紙が届き、多くは諸外国からで日本の子供からのクリスマスカードも含まれていて、フィンランド政府の観光局では10カ国語による返事を用意してクリスマスとサンタクロースに備える。
 戦後日本でもキリスト降誕に関連する祭礼が俳句の季語になった。
?聖胎節?聖誕祭?聖家族の日?聖ヨハネの日などで、12月3日の聖サビエルの日も季語となっている。(鱧)
札の辻・21 No.503(2009年12月5日)
 ミッキーマウスのドール・オブジェに光ファイバーを使用し、やわらかく象形的に表現したメルヘンコーナーには和紙と光の融合するほのぼのとしたやさしさが伝わる。
 県立美術館で開催中の「堀木エリ子の世界展」を見た。
 和紙のもつ伝承文化をたしかめながら新しい可能性をもとめてデザインアートへ挑戦する数々の作品には、光天井、光壁、光柱など大胆にしかも繊細な制作意欲が見られ、光と和紙で綴るシンメトリーの通路には通る者に対し包み込まれるような空間が迫ってくる。
 堀木さんは1500年の永い歴史のある越前和紙づくりの工房で、自らも紙漉き作業をつづけながら日本和紙の精神性を体感している。
 越前(福井)で漉かれてきた和紙は主として奉書で、平安期以来朝廷や室町幕府の教書に使用される。越前が和紙技術に卓越していたのは、地域的に京の都に近く歴史的に神社・寺院が多いところからの需要がさかんで品質管理もきびしさを求められたからだという。
 和紙にある強靱な繊維質は楮、三椏の木皮が原料である。どちらも落葉低木で古くから山間部の山すそや田畑の岸や畦などに栽植されてきた。
 和紙と光のデザインによる巨大壁面やシャンデリアに、作者のもつ感性は図案、彫刻、設計、詩感に至る幅広い領域に及び孤高性がなく親近感すらにじむ。(鱧)
札の辻・21 No.502(2009年11月28日)
 木の実が落ち尽くし紅葉が散り果て虫の声が絶えてくると、色どりと音に季節のリズムを奏でてきた秋は寂寥感だけを置き去りにしてゆく。
 しかし日本列島の冬はこれからさき太平洋側にあっては比較的に晴天が多くサンシャインの冬である。山口盆地の空に東鳳翩の稜線がくっきりと見られるのは冬に多い。
 冬は花の乏しい時期ともなるが、ひっそりと咲く花が次々に春来るまでをつないでくれる。
 まず山茶花は咲いては散り散っては咲き白や薄紅色の花びらを散り敷く。八つ手は乳白色で雪の結晶のように端正で紋章型の小さい花柄を見せ、外来植物のピラカンサは赤い実をびっしりと密生させて忍冬の意地を張っているようだ。
 そして晩秋から初冬へと季節の移動を身近に感じさせるムクドリの群れが椹野川の空を舞うようになり、街路の電線にもひしめき合って止まりおしゃべりをする。
 ムクドリは一年中日本全土に棲息するが、東日本では主として春から夏にかけて多く冬は少数しか見られない。逆に西日本では秋と冬に多い。夕暮れの空を一斉に鳴きながらねぐらに向かって数百羽の集団となり波状飛翔を繰り返すが竹薮や雑木林に落ち着く頃には囀りも小さくおだやかとなる。朝は早く日の出を待たず河川敷や農耕地のエサ場を目指す。江戸期の鳥類録に曰く「むくどり囀り高かれどもよろしからず」と。可哀想である。(鱧)
札の辻・21 No.501(2009年11月21日)
 会期も終わり近くなり中原中也記念館に−湯田温泉物語−企画展を見る。
 湯田温泉の発見伝説「防州吉敷郡湯田温泉記」や室町期に山口を訪れ十境の詩を詠んだ中国人趙秩の「湯田春色」をはじめ中原中也、種田山頭火、嘉村礒多、吉井勇、大岡昇平、司馬遼太郎など湯田温泉にゆかりのあった文人たちの色紙、短冊、書簡や作品を展示する。
 司馬遼太郎は紀行文学・街道をゆくの中で湯田温泉に数度宿泊し、宿の風格や、料理に同行の画家風間氏と共に改めて長州を感じたと書く。
 戦前・戦後の写真もある。川があり橋のある湯町の情緒ある風景がなつかしい。中也の子供時代から結婚記念、中原一家の写真には中也の詩?帰郷?の故郷思考が重なってくる。
 大岡昇平は友人中也回想のなかで『中也は長州人のもつ風土的な宿命感から逃避したい心境をひそめながら湯田は中也にとって小林秀雄にも述懐しているごとく湯けむりに詩情を暖めたいふるさとだったのではないか』と述べる。
 ―昼は酒一杯うどん一杯でむろん千人風呂に入った。これが目的の大半だから温泉はほんとうに良い―と山頭火の湯田風来居日記である。


 どんぶりと湯の
 あつくあふれる
 まひるひろくて私
 ひとりにあふれる湯
 記念館を出ると温泉宿の庭から落葉が風に舞っていた。(鱧)