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札の辻・21

札の辻・21 No.620(2012年3月24日)
   ビール樽
 コロガセ、コロガセ
 ビール樽、赤い落日ノ
 ナダラ坂、
 トメテモトマラヌ
 モノナラバコロガセ
 コロガセ、ビール樽
        白秋
 先週所用で北原白秋のふるさと有明海に近い柳川市に行った。
 柳川は明治の鉄道造成に反対して鹿児島本線を拒否、1938年になって博多から西鉄大牟田線が開通して以後、水郷の風情ある城下町としての繁栄をとり戻した。
 山陽本線乗り入れに反対し支線利用となった山口市と似通っている。
 立花藩12万石の城下町は筑後川河口を縦横に巡らした掘割と柳並木が目立つ史都である。
 ひさしぶりに宿泊した立花家別邸の歴史をもつホテル「お花」では有明海の通称クツゾコと呼ぶ大型舌ヒラメを眼玉だけ残して堪能した。
 柳川に酒造家の長男(トンカ・ジョン)として生まれた北原白秋は「わが詩情の母体は水の町柳川である」と青年期を過ぎてから青春をバネに《ふるさと》を肯定し美化した。その郷愁のイメージは中原中也の望郷詩情と通じるものを想う。
 柳川はいま雛まつりイベントの最中である。おひな様水上パレード、流し雛まつり、柳川きものまつりなど商店街中心に4月3日までつづく。江戸時代からの味覚ウナギの蒲焼にタレを絡めたセイロ蒸しをひるめしに、早春の筑後平野を電車で博多へ急ぐ。   (鱧)
札の辻・21 No.619(2012年3月17日)
 3月は植物にとって地中の種子から、また林の落葉樹からも発芽期を迎えた躍動の時期となる。植物の動きはもっぱら気温の変動に対応するが、春来るが目やすになるのは平均気温が10度前後といわれ、西日本では3月の上・中旬で北海道、東北になると5月上・中旬といわれている。
 ところで季節の境界の実態は「きょうから春」と区別するように画然としたものではない。
 「春はやがて夏の季をもよおし、夏はすでに秋は通い、秋はすなわち寒くなり―」と徒然草のごとく季節はそこはかとなく交代をつげる。
 季節風の交代する今頃の時期は北寄りの風と西からの風が日本列島近くで入り乱れ前線の動きも活発になる。春の天気の変わり身の速さを言い表した言葉に彼岸西風、春一番、春疾風など強風を表現した季語も多い。
 しかし雨、風が治まると寒気は海の潮騒と共に遠去ってゆく。
 県内の周防灘沿岸は工場地帯に多くなっているが椹野川河口の秋穂湾一帯は、これから潮干狩のシーズンを迎える。
 縄文時代の貝塚からは最も多く発見されてきたのがアサリの貝殻である。殻に焼いた形跡が残ることから一般化した食材で、古くより潮干狩の主役として遠浅海岸の風物詩ともなった。
 俳優で俳人の小沢昭一に次の句がある。
 校長満悦洋裁学院
 潮干狩 
(鱧)
札の辻・21 No.618(2012年3月10日)
 先月末、菜香亭で開かれた山口の地酒をたのしむ会に出席した。
 五橋、東洋美人、獺祭、山頭火、長陽福娘など県内の11銘柄を並べて、やまぐち発酵文化研究所代表の柏木享氏が純米酒と大吟醸の違い。米の磨き率で味は変わる。仕込水と酒米。酵母がつくるフルーティーな香りが生まれる秘密などを主体にした卓話のあと、木の芽和え、ホヤと数の子とこのわたの珍味、菜の花の辛子和えなどいちやなぎの酒の肴料理で、女性21名を含む50名で甘口、辛口そして香りと利き酒風の和やかな会席となった。
 もともと日本酒は高度な発酵過程を経て醸し出す複雑で微妙な舌ざわりをもっており清冽な要素が実在する。それは主原料である米に由来するもの、発酵に大きく影響する水と酵母、精米歩合、工程による独自性など代々受け継がれてきた技量などに加えて、地域の風土性や歴史的な背景は東西に長いわが国の食文化の発達過程にも多面的な関係を持つ。その歴史的なイメージを思い浮かべると、灘、広島、越後など酒どころと呼ばれる酒が既成的に知名度を上げたが、最近では全国の各地独自の醸造を持つ地酒ブームとなって、その中から香りと味覚を備えた酒が東京をはじめ主要都市の日本酒店を席巻しつつある。
 山口県の地酒もヒケをとらず銀座や東京駅の地下店にも並ぶ。
 浅春に微醺のひとときを過す。     (鱧)
札の辻・21 No.617(2012年3月3日)
 佐野眞一、高橋克彦、玄侑宗久の作家達と赤坂憲雄学習院大教授をパネリストに、司会はいつものNHK古屋アナで、第16回司馬遼太郎菜の花忌は東京日比谷公会堂で2月18日に開かれ、“3・11後の『この国のかたち』”のタイトルの如く地震列島日本の東日本大震災を論旨の中心として熱っぽく展開された。
 福島三春町の寺院住職でもある玄侑氏は、寺の門前にある六地蔵が一体だけ残りあとは津波に流出した被災体験から、東北大型地震の全体像が把握されず実体の合意形成が鮮明でない。福島に住む高橋克彦氏は2階の書斎で地震におどろき、階下で肢体不自由な妻の傍で過ごした体験から、大災害に対応する世代の年齢差を体感した。
 佐野眞一氏は今回の三陸大津波と福島の原発事故の実体からは、日本の近代化がたどった足跡があぶり出されている。
 赤坂氏は東日本大震災復興構想会議委員に選任されており「東北学・忘れられた東北」の自著で示すように、この国の原点を見失った高度経済成長の弱点を反省するには確かな体験である。
 以上の二時間に及ぶ討論は全聴衆が感動した。
 シンポジウムの前に第15回司馬賞を受賞した伊藤之雄京大教授は自著「山県有朋」文春版につきシビリアンコントロールした長州を語って受賞の弁とした。
 3千5百本の菜の花で埋められた壇上に一足早い春があった。
(鱧)
札の辻・21 No.616(2012年2月25日)
 広島の宮島口に住む友人から広島ガキはシーズン中の2・3月がいちばんうまい。来ないかとの連絡があった。
 カキの主産地は広島、宮城、岩手などだが、東北両県は東日本大地震で養殖にも大被害を受けている。広島産は粒が太く乳白色で、宮城、岩手産は中型でやや青い。しかし東北ガキは広島よりも早く初秋から市場に出回り人気があった。
 カキの養殖は世界各地で盛んに行われており、歴史も古く紀元前一世紀に遡る。フランス料理はカキからはじまるといわれているほど伝統がある。アメリカでもボストンにはロックフェラーによる大規模な養殖場があるという。欧米では日本のように魚介を生で食べる習慣は殆どなく、生ガキが珍重されるのは別格とする食文化である。
 日本では1673(延宝元)年に広島でアサリを囲っていた竹にカキが付着したことにヒントを得て養殖をはじめたのが最初といわれ、1923(大正12)年には筏を使用した垂下式の養殖法が考案されるに至って以来著しく進歩した。
 カキは吸い物、殻焼き、酒蒸し、土手鍋、フライなどがあるが、かつて釣り仲間とメバル釣りの2月、引潮で沖合の岩場が露出した秋穂竹島で釣船を寄せて岩に付着しているカキを採り、友人宅でカキ鍋にし、不漁だったメバル釣りを忘れて早春の味覚に堪能した日を思い出し宮島口の広島ガキが気になる。
(鱧)
札の辻・21 No.615(2012年2月18日)
 幾度かの雪となった今冬も暦の上では立春が過ぎて、いよいよ春への序走が進む日々となった。
 ウメは春季到来にさきがけて山口市内でもすでにあちこちで蕾から開花への動きがはじまっている。
 東南アジア地域では古くから早春花としてウメは日本列島は勿論、中国大陸、朝鮮半島に於いても親しまれているが、ヨーロッパやアメリカでは栽培されずサクラの方が親しまれウメとサクラにはへだたりがある。
 ウメの原産地は中国大陸の長江流域で四川省や湖北省が発祥の地とされ、日本に於いては綾羅木郷台地(山口県)や松ヶ崎遺跡(兵庫県)に種子などの遺物が出土しており、弥生時代前期の頃には到来し食用にしていると実証された。
 ウメは古事記や日本書紀には見当たらないが万葉集には詠んだ歌が120余首もあり第2位のサクラの40余首に比べると歌に詠まれた花の中ではウメが圧倒的に多い。
 寒明けを待ちかねたごとく2月5日の日曜に瑠璃光寺前庭の梅園を見にゆく。
 寺院の屋根や周辺の木立に残雪もあるがウメは庭園の南端から大きくふくらみを見せていた。
 寒さにもかかわらず参詣者は多く、曇り空に高い五重ノ塔や塔脇の司馬遼太郎文学碑にカメラを向ける人の姿もあった。
 今日18日は日比谷公会堂で司馬遼太郎第16回「菜の花忌」となる。 
        (鱧)
札の辻・21 No.614(2012年2月11日)
 立春を過ぎ俳句の季語には冴返る、余寒とつづき梅、クロッカス、いぬふぐり、まんさく、ネコヤナギと並ぶ。
 まだ寒さの残る頃に春のきざしを的確に捉えるのは、季節の推移に敏感な日本人の感性を示すものといわれてきた。
 仁保川の河畔近くに住むせいか特にネコヤナギの芽立ちからふくらみへとつづく耐寒性の強さには惹かれる。
 ネコヤナギの白い産毛で被われた芽立ちは大寒中のきびしさの中で銀色の清冽さが、ひと足早く春到来を予告する。
 日本列島でネコヤナギがふくらみを見せるのは九州・四国・中国で2月の上・中旬、東北や北海道では3月中旬から4月上旬となっている。
 このようにネコヤナギは日本各地に自生する仲間ではもっとも早く開花するが、葉に先立って柔らかいビロードに似た被毛に包まれ、ふっくらとした蕾が親しまれ猫の尾に見立てられてネコヤナギにされたという。
 雄株と雌株の区別があって、生け花などに多く用いられるのは雄花である。雌花は実を生じたあと綿毛となり飛散する。
 かつてモスクワを訪れたときアカハタ総局の前庭で遅い春風に舞う柳の綿毛があった。中空に柳絮が舞い足もとにタンポポが散るロシアの晩春を体感した。

 道はいつしか
 咲いているのが
 ちらほら  山頭火
         (鱧)

札の辻・21 No.613(2012年2月4日)
 1月22日、初場所千秋楽を両国国技館で見る。
 前日につづき満員御礼の館内は江戸らしい相撲人気で、若い女性の晴着姿が目を惹いた。
 郷土出身の豊響にも博多以上の声援で子供の声があったのは山口県出身の親子連れか。
 豊真将の人気も高く、仕切りから勝名乗りを受けるまでの礼に始まって礼に終わる相撲道に徹した姿に館内の拍手がひときわ高くつづく。
 両力士は共に7勝8敗だが豊響は隠岐海を豊真将は豪風に圧勝した。
 当日十両の取組がはじまる前に国技館の理事長室で放駒理事長に会う機会を得た。
 歌舞伎と共に江戸文化の伝承を守ってきた大相撲が八百長問題での存続の危機を改革し刷新した態勢で伝統を守るという責任を果たした苦労の日々を感じさせない、あのやわらかな人なつこい笑顔の放駒だった。
 氏は大相撲改革の道筋を決めて今場所後には定年で会長を退く。
 想えば柔道のオリンピック候補選手として大学の合宿中に、初代若乃花から豪引に口説かれて大相撲に入り、三段目に昇進したとき私と会って以後、幕下・十両・幕内の長い交友となった。
 彼の化粧廻しの図柄を画かれた香月泰男氏、直に京都西陣で仕上げた滝口純氏、協力した大和保男氏、そして2度の優勝と思い出は深い。
 横綱・大関を従えた千秋楽挨拶で放駒は決別の土俵を飾った。 
         (鱧)
札の辻・21 No.612(2012年1月28日)
 今月上旬、新聞に早くも顔をのぞかせたフキノトウが写真掲載され、この寒さにとおどろいたが先日わが家に近い仁保川の川土手にも太筆のごときフキノトウを見つけたと近くの友人が届けてくれ季節の鼓動の早さを身近に感じた。
 まだ積雪だよりのつづくうちから土を割って若芽をもちあげるフキノトウは、待ちわびる春への季節感を昂めながら雪国であるほど切実な体感ですらある。
 降り積もった雪のすきまから僅かな土を持ち上げる生命力に寄せる雪国の人びとの感性には祈りにも通じるものがあることだろう。わけても東日本大震災地域一帯では薄いミドリ色にも暖かい格別の想いを重ねる。
 農文協版福島の食事によれば「雪解けの時期に若い芽をのぞかせるフキノトウを摘みとり、水洗いして熱湯をくぐらせたのちはしばらく水につけ苦みやアク抜きをしたあと、よく水気を切って細かく刻みミソ汁や和え物にして雪国の遅い春を待ちわびる」とあった。
 やはり福島の阿武隈山地をふるさとに持つ詩人草野心平は
 =猫柳が咲き土手の斑雪がだんだんとける頃に蕗の薹がふっくら開く。雪国の少女の霜焼けの頬を思わせる寒期との戦いから生れた二月の色である。日本酒の肴にあの独得の苦さが良い=(著酒味酒菜)より。
 蕗のとうことしもこ
 こに蕗のとう 山頭火
(鱧)
札の辻・21 No.611(2012年1月21日)
 南九州指宿市の開聞岳山麓と池田湖畔を走る“菜の花マラソン大会”は、早くも菜の花満開の1月8日に1万7932人が出場して行われ、東日本大震災の福島県いわき市から参加した夫婦もあった。
 万余の足音と共に季節の移動速度は南から北へと伸びてゆく。
 まだ寒中だが西中国山地から瀬戸内の沿岸まで縦に長い山口市でも海に近い秋穂、阿知須では寒明けを過ぎる頃には陽当たりの良い野面に菜の花の群落が黄色いほころびを見せることになる。
 菜の花はもともと菜種油を採るアブラ菜で古くから中国より渡来して全国的に栽培され菜の花畑に入日薄れ”と小学校唱歌にも歌われてきたが、今ではカナダやブラジルから菜種油が輸入され、菜の花畑の往年の姿が残されているのは全国的に青森県や鹿児島県で、菜の花を県花としている千葉県でも年々作付面積が減少しているという。
 温暖な日差しに菜の花ざかりの風景が減少してきたのは高度経済成長政策以来のことで日本列島従来の農作物衰退で目立つものはムギと並んでアブラ菜となる。
 しかし暖かくなったと思えば雪がちらつくという日を繰り返しながら、やはり着実に高まってゆく気温が季節の移動を予告してゆく。
 われわれにとって季節感のひとつに冬の暦をめくるような秋穂のお遍路さんがあって巡礼姿にヒバリが囀る。(鱧)