法事で親戚が集まった時、わいわいガヤガヤ話しながらお茶を飲んでいた。年配の従姉がお茶を膝の上にこぼした。熱い、熱い、と飛びあがりスカートの裾をまくり扇ぎ、跳ねた。しばらくして落ち着いたら「書かないでね」と上目遣いで私に言った。私が文章を書いて投稿していることを知っているのだ。私は少し口角を上げて頷いた。
“熱いお茶をひっくり返し、従姉が大騒ぎした。皆が笑った”だけでは才能のない私は作品にできない。それだけでは小さな屑が洗濯機の隅に引っかかったようなもので、なんということはない。しかし、スカートの裾からちらり見えた従姉の皺寄った腿には感じるものがあった。戦前戦後を生き、しかも満州からの引揚者。スカートの下から見えた足で歩いて帰ったのだ。はちきれんばかりに太かったであろう腿。今は皺寄って細い。ドキンと胸を打つものがある。が、これもまだ小さな糸屑である。前述の洗濯機の糸屑と違うのは、少し私の感情が動いた、ということである。これを私のポケットに入れておく。いつか沢山の色糸屑がそこに溜まり、大きな塊になる。それが、書いて、書いて、って叫び出したら(そんな幸運なことは滅多にないが)書き始める。作品になるかどうかは別問題。非才な私は糸屑を求めて今日も又。