急激に冷えだした12月のある日曜日、私は祖父の手伝いということで、神社のしめ縄づくりに参加させていただいた。
稲藁を数本まとめ、結わえて、束として、それを使ってしめ縄本体を編み上げていく。
山のような藁や、スピード勝負である豪快なしめ縄づくりに圧倒され、ついつい自分の色を忘れて見とれてしまった。
あっという間に2時間が経ち、祖父の、「休憩にしましょう」との一言で、やっと一息つき、温かい生姜湯を頂いた。
ふと本殿を見ると、大きな絵馬が目に飛び込んだ。いつもはあまり気に留めていなかったが、改めて見ると勇壮で、豪快な画であった。画題は川中島の合戦だ。
必死の形相で斬りかかる謙信と、咄嗟に軍配で受け止める信玄を見事に表現している。
この日は神主さんもいらっしゃったので、特別に拝殿の中も見せてもらった。
合戦図や、戦勝記念の軍艦の写真などが並ぶ中、1枚の粗末な杉の板があった。
よく見ると、明和8年とあり、江戸中期のものであることがわかった。
何よりも、私の興味をひいたのは、それが現在の山口市域の人々が詠んだものだということで、中河原、小郡など馴染み深い地名が書いてあった。
山口市の文化として取り上げられるのは大内氏の時代のものがほとんどだが、江戸時代にも多くの文化、文芸を好む人々がいたとわかり、とても驚いた。
ぜひこれらの、江戸時代の山口の文化がわかる遺物を大切にすべきと思う。
今後もこのような山口の文化について調べていきたい。
みなさんも機会があれば、自分の地元の文化を見直されてはいかがだろうか。
投稿者:西田正太郎さん(17歳・野田学園高)