東鳳翩山の南麓、吉敷中尾の14万5千平方メートルの段丘上にこの石塁はある。何ら事前知識なしにこの石塁を前にしたら、どこか異国の謎の文明の構築物だと思っても不思議はないだろう。初めて訪れた時には既に説明看板があったので、これが大内文化の遺構と理解して石塁の前に立ったのだが、それでも大内時代の神社仏閣とはまるで違う強烈な印象を持ったものである。
この石塁の建立時期は不明だが、大内義興が開基した凌雲寺の惣門跡という。惣門とは寺院の外囲いの大きな門や正面の門を意味するから、この石塁の背後には巨大な寺院が広がっていたのだろう。イラストに示した石塁は総延長60メートル、高さ3メートル、厚さ1.6メートルという迫力あるものである。石組は日本の手法とは異なっており、大内氏の海外窓口だった肥中街道がこの近くを走っていたことからも大陸との関連があるのかも知れないと言われている。
文・イラスト=古谷眞之助