野暮用で高知に行った。折角だから足を延ばし「清流四万十川」を見てその上に架かる「沈下橋」を渡りたい。澄んだ川を遊覧船に乗り沈下橋の下も通って見たい、と思った。
高知は詩人、片岡文雄(一九三三~二〇一四)氏の故郷だ。四万十川が記憶に強くあるのは、片岡氏が三〇年前に書かれた文章を見たからだ。「四万十川が“日本最後の”ということは、これでもっておしまい、というニュアンスを含んでいるはずです」。高知には初めて行く。三十年前に片岡氏が危惧されたことがなく、今も四万十川は清流であると信じている。見たい。
予定していた日は、あいにくの大雨で、高知から中村までの列車「しまんと号」は運休。この雨で四万十川の水位は増し、名のとおり水に沈んでいるだろう。沈下橋は川が増水すれば沈むように作られた橋。その姿も見たい、が雨は激しく、列車も動かない。諦めるしかない。四万十川側に建つホテルをキャンセルした。
沈下橋をわたる 大森ちさと
沈下橋をわたる/道から深くおちこんだ/沈下橋をわたる/せせらぎが聞こえ/まん中までくると/生暖かに身体に/奇妙な風が吹き/川はひんやりとした目で/わたしを見あげている/肩を突かれれば/流れてゆくだけの/棒であるかのように