朝四時、私は台所に立ち朝食の準備をする。卵を割る、野菜を洗う、忙しく手を動かしていると、いつも何かを思い出す。長年、忘れていたことがふいに鮮明に浮かんでくるのだ。
脳梗塞の後遺症で右半身が不自由な父の入浴介助をして、すぐ隣の我が家に帰る時、父が「たまには話して行けよ」と言ったのに「夕方は忙しいのよ」と言ったこと。その時の父の苦笑いの顔。登校時、いつまでも飼い犬がついてきた。帰れ、と当たらないように石を投げた。犬はうろたえて悲しい顔で私を見た。その顔が見える。
何故、毎朝の台所で嫌な記憶だけ現れるのだ。私の奥深くに閉じ込めておいた、忘れたい記憶達が朝の台所で現れ、私を戸惑わせる。苦しめる。
逃げる方法を考えた。俳句を読もう。気分を変えなければ。流しの側に俳句の本を置いた。
蝸牛一寸先も緑の葉
西原三春
若葉の香りがするではないか。胸の中がすっきりしてくる。渦巻模様の蝸牛が流しを幾匹も這う。
思い出も金魚の水も蒼を帯びぬ
中村草田男
台所に差し込む朝の光りが青みを帯び始めた。今日が始まる。
俳句を見ているうちに卵焼きが焦げてしまった。焦げたところを下にして皿に盛った。