六十代前半までは、草取りは一対一の勝負だと思っていた。草の命を取るのだから、私もそれ相応の肉体の消耗を差し出さなければいけない。草の中に生きている虫にもだ。刺されぬための衣服等の防御は許されるが殺虫剤など使うのは卑怯だ。
六十代後半になると虫よけスプレーを使うようになった。なにせ草取りの度にイラに刺され虫に噛まれ、皮膚科に駆け込むようになった。椿の葉に二列に行儀よく並ぶイラの子に容赦なく殺虫剤を吹き付けた。真っ白になりむせるほどかけた。転向したのだ。
七十代になると先手を打って除草剤を撒くようになった。
植物は、五億一千年前に緑藻類から進化し陸上に上がり繁茂するようになった。人類の歴史は五百万年。一対一の勝負は最初から無理なのだ。草取りの苦痛を友人に訴えたら「草取り止めな。それでなくとも背中が曲がっているんだから」。除草剤を強力なのに変えた。激しく転向した。
後期高齢者になると、木は剪定ではなく切り倒している。剪定ではすぐに枝を生やし木は復活する。私は衰える。転向したことなど忘れた。
それでも良心は生きていて、毎朝庭に一礼して、転向したことを恥じ詫びながら、薬剤をまき散らし、枝を切り倒し日を過ごしている。