永正17年(1520年)に、当時足利将軍に代わって実質的に京都を統治していた大内義興が伊勢神宮から分霊の勧進を許可されて建立したのが山口大神宮である。そのため明治になるまでは我が国で唯一勅許によって分霊を許された神社だった。江戸時代には特に中国・九州の人々から「西のお伊勢さま」として信仰を集めてきた。伊勢神宮に倣って20年毎に式年遷宮が行われることになっているが、なかなかこれは大変なことのようで、近年式年遷宮が行われたのは昭和35年と平成12年のことである。
時は下って、幕末、四境戦争が始まると、長州藩は山口周辺の街道を封鎖したが、中でも小郡の柳井田関門の封鎖は信者にとって致命的だった。そのため林勇蔵ら小郡の有力者達が雨乞山の麓に山口大神宮遥拝所を設け、それからはそこで参拝すれば大神宮と同じご利益があるとされて信仰は途絶えることはなかったという。
文・イラスト=古谷眞之助