石鹸箱には秋風が吹き
郊外と、市街を限る路の上には
大原女(おはらめ)が一人歩いてゐた
――彼は独身者(どくしんもの)であつた
彼は極度の近眼であつた
彼はよそゆきを普段に着てゐた
判屋奉公したこともあつた
今しも彼が湯屋から出て来る
薄日の射してる午後の三時
石鹸箱には風が吹き
郊外と、市街を限る路の上には
大原女が一人歩いてゐた
【ひとことコラム】大原女は絣の着物に手甲脚絆という装束で大原の特産を頭にのせて行商する女性。京都に二年暮らした中也は目にしていたと思われます。銭湯帰りの独身男性との間に何が起こるわけでもありませんが、京都郊外の路上に流れる秋の午後の時間の感触を鮮明に伝える一篇です。
中原中也記念館館長 中原 豊