大内氏の氏寺として知られる興隆寺は、613に大内氏の始祖・琳聖太子によって創建されたと伝わる。山口県文書館に残る「興隆寺伽藍図」や江戸期の街道絵図「行程記」によってその寺域の圧倒的広さを知ることが出来る。氷上橋付近から北に延びる参道両側には百を数える僧坊があったとも言われている。また興隆寺内にある妙見社は、第十一代大内茂村が827年に都濃郡鷲頭山からここに勧進したと伝わり、興隆寺・妙見社は、まさに大内氏の氏寺と氏神が見事に一体化した神仏習合の一大寺院と言えるだろう。今も燈籠の残るかつての法界門付近から奥は大内氏一族以外は立ち入ることが出来なかったとも言われている。
ここで見逃せないのは重要文化財に指定されている見事な梵鐘。内部の銘文には大内義隆が1532年に寄進したと記されている。また興隆寺には大内菱の家紋入りの琳聖太子の剣も残されている。
文・イラスト=古谷眞之助