「私は老人性鬱じゃないかしら」と愛子さん。「夏が暑かったからくたびれたね」と私。彼女と私は八十歳。
「ガザの飢えた子や瓦礫の町を見るとその惨状が心に重く残るのよ。それに私自身のこれからの生活や身体のことを考えると不安が上乗せされる。ちょっと前までは、頑張るぞ、ファイト一発、なんてすぐに立ち上がれたけれど、今は心が沈むだけ。なにもしたくない、これって老人性鬱?」。
それから一か月後、愛子さんが土産を持って我が家にやってきた。「鬱、治ったみたい」。「良かったわね。でも、どうして?」と私。「思い切って東京に行ったの。東京にはなんでもあるわ。びっくりしたのはK本屋。五階のビルの全部に本がぎっしり。通販なら地方でも手に入るけれどそれはこちら側に情報があってのこと。読みたい本がわかっていなければ注文できない。K店では向こうから本が飛び込んでくるのよ。知らない本に出合える。背表紙を見ているだけでウキウキよ」。彼女は、幾つかの講演会を聴講し平和を希求する団体に寄付をした。街角コンサートにも出くわした。虹色の衣装の男性歌手に惚れ込み、彼の推しになった。土産は開くと彼が笑っている写真の扇子。サンキュー。自然もいいけど、都会もね。鬱は忍び寄って来る。気を付けて。