大内氏第24代弘世が市内大内地区から現在龍福寺のあるこの地に居館を移したのは14世紀頃と言われているが、それ以降150年もの間、この地は大内氏の政治的拠点・守護所だった。一の坂川の扇状地の中央に位置する絶好の地で、敷地は百間(180m)四方、一般的な城郭とは異なり、周囲を堀と土塁で囲っていた。発掘調査により当時の枯山水園、池泉庭園、土塁が復元されて、往時の雰囲気を味わうことができる。下向した足利将軍義稙は池泉庭園を眺めながらここで32膳を楽しんだことだろう。龍福寺は毛利隆元が弘治3年(1557年)に大内義隆の菩提寺として建てたものであるが、明治期に焼失したため大内地区の興隆寺釈迦堂を移設して現在に至っている。
2024年、参道の紅葉を背景にした和服姿の女性の写真がNYT紙に掲載され、この年に訪れるべき52カ所に山口市が選定された。
文・イラスト=古谷眞之助